スィヴァス事件から18年、追悼の日に催涙ガス
2011年07月02日付 Radikal 紙

スィヴァス事件から18年目の7月2日、追悼行事が行われた。情報文化センターと形を変えたマドマク・ホテルの前での行事開催を県は許可しなかった。警察は行事参加者に催涙ガスを撒き、対抗した。

スィヴァスのマドマク・ホテルで37名が焼死した事件から18年経った。命日としてスィヴァスでは追悼行事が開催されたが、混乱を招いた。警察は、マドマク・ホテル前に来ようとする追悼行事参加者へ、催涙ガスを撒いて対抗した。

■車両を止めて検査

スィヴァス県警は、追悼行事を前に厳重な警備体制をとった。市境に設けられた検問所では、警察が一昨日から深夜と明け方に車両検査を行ったが、行事開催の数時間前から更に綿密な検査を行った。警察は、朝早い時間帯には特に、追悼行事のためにイスタンブル・イズミル・アンカラ・アダナ・メルスィン・ディヤルバクル・アンタリヤなどをはじめとする県外から来た団体のバス・中型バス・ミニバスを止め、車両内の疑わしい人物の身分証明書を確認したり身元照会をし、これらの人物が所有していた横断幕・プラカード等に書かれている内容につき調査をした。何名かについてはボディーチェックも行い、車両内に銃・ナイフ等がないかどうかを点検した。

■通行禁止

また、マドマク・ホテルはスィヴァス県特別行政体情報文化センターとなったが、旧ホテル前は通行止めとなった。警察は建物のある通りを鉄のバリケードで囲い、通り上に駐車中の全ての車両を撤去させた。旧マドマク・ホテル前と、追悼行事の際に行われる行進のルート上の全てのゴミ箱は、警備上の観点から撤去された。

■各参加者が集合

18年前の事件によって亡くなった人々を追悼するため、遺族、政治家、市民団体関係者などのグループが集合した。エトヘムベイ公園前に集合した約1万人の参加者は、スローガンを唱えながら行進を始め、メヴラーナ通りをとおって市の中心地までやって来た。遺族は、亡くなった家族の写真を持って、最前列で行進をし、「マドマク・恥辱博物館」と書かれた横断幕を掲げた。市の中心地までやってきた追悼行事参加者に対し、警察は特に介入しなかった。参加者は民主主義プラットホームを訴え、中心部にあるアタテュルクの銅像に献花した後、アタテュルク通りをとおってマドマク・ホテル前まで行進した。警察は、今や情報文化センターとなった旧マドマク・ホテルまで15メートルのところに規制線を張っており、旧ホテル前まで行くのを許可されたのは、政治家、遺族、追悼行事企画委員会関係者だけであった。これらの人々は、旧ホテル前まで行き、献花した。また、「マドマク・恥辱博物館」と書かれた横断幕を旧ホテルに掲げようとしたが、許可されなかった。

■催涙ガス

この頃、警察の規制線に近い前方部の参加者の一部は、「規制を解け」というスローガンを唱え、警察を蹴って規制線を乗り越えようとした。警察は、規制線を壊そうとする人々に、警棒や催涙ガスを使って対抗した。大騒動となる中、追悼行事用のバスからは、「挑発に乗るな」とアナウンスされた。騒動の際に負傷者も見受けられた。警察の介入の結果、参加者は仲間を静めるようつとめる一方で、一部規制線にペットボトルや棒を投げる者もいた。追悼行事企画関係者はバスからアナウンスをし、挑発に乗らないよう呼びかける一方で、旧マドマク・ホテルへの接近が許されなかったことで追悼行事参加者は県庁への怒りを露わにしていた。催涙ガスをあびた人々は、水で顔を洗ってなんとか症状を落ち着かせようとした。騒動は約15分続き、この間警察は規制線越えを阻止し続けた。

■マドマク事件を絶対忘れない

ピル・スルタン・アブダル文化協会ヒュセイン・ギュゼルギュル会長は、18年間(追悼行事のために)スィヴァスを訪れていると言い、「友人にも友人でない者にもわかってほしいことがある。すなわち、我々は今後180年もここを訪れるということです。我々アレヴィー派は、我々革命支持者は、我々民主主義・人道主義・政教分離を支持する人間は、ケルバラ事件を忘れていないし、ママラシュ事件も、チョルム事件も、ガーズィ地区での事件も、ガザでの事件も忘れていないように、マドマク事件も絶対に忘れません。なぜならば、経験上わかったことは、我々が忘れると皆も忘れるということです。我々は忘れません。なぜならば、このような虐殺が二度と起こってほしくないからです」と話した。

スィヴァス・民主主義プラットホームを代表して訴えるイブラヒム・シャーヒン氏も、マドマクという名前はスィヴァスの街からも人類の記憶からも決して消えることはないと述べた。

シャーヒン氏は、「政府と公正発展党(AKP)に言いたいことがあります。マドマク・ホテルを情報文化センターにし、マドマクという名前を忘れさせるなどいう意識や取り組みをやめてください。人間性に訴えたいことがあります。あらゆるものは失う可能性がありますが、それらはまた新たに得ることができます。しかし、絶対に良心を失わないでください」と話した。

一方で、旧マドマク・ホテルの建物の窓に、遺族は「マドマク・恥辱博物館」と書かれた横断幕を貼った。グループは横断幕の前で写真を撮ったが、その後警備隊の警告を受け横断幕をはがした。このグループは、規制線を越えることを許されたものの、建物の中には入れなかった。

追悼行事参加者の中には、共和人民党(CHP)スュへイル・バトゥム副党首と彼に随行してきた国会議員もいた。参加者は、行事が終わると旧マドマク・ホテル付近を離れた。

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( 翻訳者:津久井 優 )
( 記事ID:23123 )