往年のベリーダンサー、悲しい死
2011年07月05日付 Hurriyet 紙


往年のダンサー、オズジャン・テクギュルさんが3日前(7月2日)、アンタリヤで事故のため亡くなった。安置所に収容された遺体を引き取りにくるものは出てこなかった。葬儀には彼女を慕う一人の若者と数人の市民の姿があった。

テクギュルさんの悲運を知った俳優のハリル・エルギュルさんはイキンジ・サイファという番組に電話で出演し、「かつて私は彼女を大変感嘆しながら見ていた。知らせを聞いてとても悲しい。今は少なくとも墓を建立してあげたい。」と語った。

オズジャン・テクギュルさんの悲運を、サバフ紙でサヴァシュ・アイ記者が次のように記している。


警察の無線に「アンタリヤ―セリク間道路で死亡事故」という知らせが入った。3日前、2台の車が衝突し、運転手は怪我を負ったものの救出されたが、もう一台の車に乗っていた73歳の女性が命を落とした。テレビ局や新聞社のアンタリヤ支局で働く人たちでさえ、この“ありきたり”な事故を特に気にも留めなかった。数人の写真記者がやってきて現場を撮影したが、地方紙の後ろのページに小さなよくある記事として載っただけだった。その数時間後にアンタリヤ国立病院の冷たい霊安室に事故の犠牲となった女性が入れられ、静かに安置された。遺体は台に横たえられ、まず法医の検死を済ませ、その後遺族らが引き取りに来るまで安置しておくよう求められていた。しかし、しばらく経ってもその高齢女性の捜索願も出ず、関心を寄せて気にかける者もいなかった。誰一人として、遺体を引き取ろうと役所に申し出なかった。

■「世界が恋焦がれた」美女

ところが、冷たい遺体安置台で静かに声もなく横たわっているその女性は、かつて「世界が恋焦がれた」美女だった。そして、これまでで一番良いダンサーの一人、それどころか最高の、女王として知られたオズジャン・テクギュルさんだったのだ。彼女のために強い男達すらも次々に「貢ぎ」、富も権力もある「偉大な男達」が彼女の髪飾りに触れようと甘い言葉や財産をつぎ込み、その映画は興行記録を打ち破り、ショーを行なうクラブを震撼させた華麗な女性が、その年老いた死人だったとは…。最盛期には彼女はトルコのほぼすべての大きな県のナイトクラブから声がかかり、最大級のカジノからホールに至るあらゆる所でショーを行なった。ある時は中産階級から評判の高いクラブや仮設シアターの水曜~日曜の昼興行で、またある時には有閑上流階級の高級クラブで、彼女は拍手が鳴り響く場所の妖精だった。さらに、アメリカ、ヨーロッパ、エジプト、レバノン、極東で族長や王子、首長、スルタン、大統領、王のためにダンスを踊ったのがこの亡くなった女性であった。

■父親の年金で・・・

オズジャン・テクギュルさんは、若干14歳で母と行った映画の撮影現場で今は亡きムハッレム・ギュルセス監督によって見出され、まもなくカメラの前に「身を投じた」。映画でダンスシーンをまったく見事にこなしたことで、人生の長きにわたってカメラの前で役を演じたり、ステージでコケティッシュに首を振ったり、腰をくねらせ踊るようになった。著名人らと映画で共演し、最大級のクラブでは有名な「火のダンス」を踊った。歳月が過ぎて、年を取り、彼女の美貌にも時は過ぎた。一度も結婚をしなかったため、父親の退職金によって貧しい生活を送る辛い境遇にあった。親しい友人と思っていた人たちでさえ彼女の傍を離れていってしまった。父からの遺産であった家を4万リラで売却し、アンタリヤで小さな部屋を購入してそこに隠居した。そして友人の車で出かけた際に起こった交通事故で悲しい最期を遂げた。死後も、孤独で縁者がおらず、もし遺体を引き取る人がいなければ、15日以内に無縁墓地に埋葬されるという悲しい現実があった。幸いなことに、セリムという名の若い役者が彼女を心配して探し、彼女の死を皆に知らせた。セリムさんは、彼女が自分の子供、兄弟、親友だと思っていた最後で、唯一の人物だった。オズジャン・テクギュルさんは、ギュゼロバ・ジャーミィで数人の情け深い市民に葬儀で見送られた後、昨日(4日)、ウンジャル墓地に埋葬された。なんという人生、そしてなんという死なのだろうか。

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( 翻訳者:猪股玲香 )
( 記事ID:23153 )