Semih İdizコラム:トルコにとっての、真の悲劇とは
2011年06月17日付 Milliyet 紙

歴史が国家に対して偶然のチャンスを与えることはまれにある。トルコは今まさに、こういうチャンスをつかんでいるのである。しかし私たちトルコ人には、チャンスをみすみす逃すという悪しき習慣もある。このようにして私たちは発展を不用意に遅らせてきたのである。

ヨーロッパ全般において、そして特にギリシャでいま危機が起きている。事態はEUの観点からも、破綻しつつある加盟国の観点からも良いとは言えない。解決も今日明日にできるようなものではない。解決したらしたで、現在とは異なるヨーロッパが現れるだろう。

近年の進展をみて、EU内の安定している諸国は自国内へ閉じこもり、経済的・社会的・政治的に保護主義的な方針をとりつつある。現時点で、すでに、EUには、第一級、第二級、第三級クラスの加盟国があるといえるだろう。

この潮流は、この先弱まっていくどころか強まっていくであろうとみられる兆候が次々と現れている。この進展は、政治的持続性を守りつつ成長を続けるトルコにとっても新しい可能性をもたらすだろう。

トルコが密接に関わっている中東地域、さらにより全般的な地域区分である「イスラム世界」を見ていくと、状況はなおさら悪い。シリア、イエメン、リビアでの暴動はいつ収束するかわからない。これらの国々における事態は良くなるどころか悪化している。こうした国々へ社会的正義が近く訪れるだろうと考えるのは幻想である。そもそも、これらの国々の内乱の原因には、民主主義への闘争ではなく、部族間あるいは宗派間の闘争が存在していることがすでに十分に見てとれる。

より均質な民族構成と比較的発達した教育水準によって、民主主義と人権を掲げて危機を切り抜けられる可能性のあるチュニジアやエジプトのような国々でもいまだに深刻な危機が続いている。こうした国々の危機の克服にも時間がかかるだろう。

物理的には私たちから遠く離れたアフガニスタンやパキスタンのようなイスラム諸国は、希望のないまま原始の海で泳ぎ続けている。イスラム世界において大きな潜在能力を持っているインドネシアやマレーシアはというと、私たちとはまったく異なる地域区分に属した国々である。

さて、周囲を見渡してみると、カフカス地域の国々にも明るい見通しは見えてこない。アゼルバイジャンは石油によって豊かになる道を歩いているが、社会的不正のために内乱の兆しをはらんだ国家である。アルメニアやグルジアは厳しい状況のまっただ中だ。

こうした国々をあげていくことで、私が何をいいたいかはもうおわかりだろう。地域における政治的安定、経済成長、進んだ民主主義、人権の観点から今もっとも将来が約束されているのはトルコである。

しかしながら、私たちはまだこのプロセスの中にいるのだ。国家として行わなければならないことは山積している。現時点で私たちがしうるもっとも良くない行為は、「私たちは先進国の仲間入りをしたのだ」とおごって怠慢に陥ることだ。

公正発展党はこのような状況で自党の利害を超えて、トルコの名において国内外で非常に多くのチャンスを掌握しているのだ。つまり公正発展党は、自分たちの宗教イデオロギーで浄化した社会的正義に依拠する現代トルコの誕生という観点から、今日までいかなる政党も到達できなかった地位に自らを置いているのである。

同時に選挙後の議会の様相はトルコを非常によく反映している。というのも、ほとんど、あらゆる傾向や思想様式をその屋根の下に抱え込むことになるからだ。専門家は選挙の得票率制限が10%でなく、たとえ5%であろうとも--今よりまったく異なる結果にはならなかっただろうと言っている。

つまり、一部の人々にとってはまだ受け入れるのは難しいかもしれないが、私たちの世界観や信仰、民族構成は、「均質」ではなく「多様」な国なのである。エルドアン首相は(選挙勝利後の)バルコニー演説においてもこのことを掲げていた。

状況がこうだとすると、新たなトルコを構成するもっとも重要な責務を負っているのは、もちろん公正発展党である。しかしながら、共和人民党、民族主義者行動党、平和民主党もまた重要な責務を負っている。社会的正義にもとづく近代的トルコはこれら政党の支援なしには創出され得ない。

皆がこの責務を歩み寄りの精神で実現することができれば、トルコは何十年も失われていた時間を埋め合わせるができる。それができなければ、そのときは歴史的チャンスを自ら逃す歴史をもう一度繰り返すことになるだろう。トルコにとっての本当の悲劇とは、こうなってしまうことなのである。

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( 翻訳者:佐藤悠香 )
( 記事ID:23208 )