PKK襲撃で犠牲の兵士13人、各地で葬儀
2011年07月16日付 Radikal 紙


ディヤルバクルで殉職した13人の兵士のうち、今日8人の葬儀が執り行われた。

アダナ県でムスタファ・ギュネイさん、ギョクハン・ユルドゥルムさん、ゾングルダク県エレウリ郡でノヤン・アイドゥンさん、アンカラ県チュブク郡でアイクト・デリメフメトオールさん、ガズィアンテプ県ニズィプ郡でメフメト・カズさん、サムスン県アラチャムでネジメッティン・トルンさん、ギレスン県デレリ郡でエムラーフ・エケルさん、そしてテキルダー県サルキョイ郡でギョクハン・カプランさんの葬儀がそれぞれ執り行われ、遺体が埋葬された。

■アンカラでの葬儀

アンカラ県チュブク郡で執り行われた、殉職したアイクト・デリメフメトオールさんの葬儀には共和人民党(CHP)のケマル・クルチダルオール党首や、アリ・ババジャン国務相、公正発展党(AKP)やCHPの議員らだけでなく、陸軍大将のウシュク・コシャネル参謀総長や同じく陸軍大将のネジュデト・オゼル軍警察総司令官をはじめ、軍司令官らも参列した。

■アール

軍警察特殊部隊兵卒のヴェファ・チェリキさんの葬儀は、地元アールで執り行われた。チェリキさんの遺体はトルコ国旗にくるまれ、ディヤルバクルでの式典後に軍用機で故郷アールに送り届けられたという。アール空港で兵士らに担がれて航空機を降りた殉職者の遺体はユズンジュ・ユル地区の父親宅に送り届けられた。悲しみにくれ、涙を流す近親者らは、やっとのことでなだめられた。殉職したチェリキさんの遺体は、その後ヤヴズ・モスクに運ばれた。
シェヴケト・ディルマチュ副ムフティーは、葬儀の礼拝の前に行ったスピーチで殉職者の家族や親族にお悔やみを述べた。
トルコ国旗にくるまれたチェリキさんの棺は、葬儀の礼拝後、しばらくの間肩に担がれたたまま移動し、軍用車に乗せられた。遺体は長い車列をともなって市中心部にある戦死者墓地へ運ばれ、涙の中埋葬された。葬儀には、殉職者の親族らにまじり、ムラト・ギュベン副知事、第12機械化歩兵旅団司令官のハカン・アトゥンチュ准将、ハサン・イリディ副市長、ハリル・カラタシュ警察署長、県軍警察司令官のハカン・チェティン大佐ら、市長や、軍関係者など多くの市民が参列した。

■アダナ

軍警察所属の上級軍曹であったムスタファ・ギュネイさんとギョクハン・ユルドゥルムさんのために、二人の故郷アダナ県のサバンジュ・メルケズ・モスクでも葬儀が執り行われた。モスクの中庭で行われた葬儀には、ムスタファ・ギュネイさんの妊娠中の妻メルヴェさん、母ドゥドゥ・ギュネイさん、そして兄弟らが参列した。またギョクハン・ユルドゥルムさんの父ヤシャルさん、母のユルドゥズ・ユルドゥルムさんも参列した。殉職者二人の親族は涙をこらえることができず、数名の親族らはテロ組織への恨みを口にしていた。また、ムスタファ・ギュネイさんの母ドゥドゥさんが心臓を患っているため、医療チームが葬儀中つねに彼女のそばに付き添っていた。ドゥドゥさんは終始準備されたストレッチャーに腰をかけていた。葬儀には、AKPのオメル・チェリキ副党首や、AKPアダナ選出のネジュデット・ウヌヴァル議員、メフメト・シュクリュ・エルディンチ議員、またCHPからは、ウミト・オズギュムシュ議員、トゥルガイ・デヴェリ議員、民族主義者行動党(MHP)からは、セイフェッティン・ユルマズ議員、アリ・ハラマン議員、ヴァリ・イルハン・アトゥシュ議員、第6軍団からメフメト・エロズ中将らが参列した。さらにアダナ広域市のズィーニ・アルドゥルマズ副市長、軍警察地方司令官のアリ・ラパンタ准将、メフメト・アヴジュ警察署長など多くの関係者も参列した。

■サムスン

軍警察特殊部隊所属の軍曹だったネジュメッティン・トルンさんは、故郷サムスンのアラチャム郡にある村で悲しみのなか埋葬された。
葬儀には、殉職したトルンさんの家族、近親者らのほか、スアト・クルチ青少年・スポーツ相、サムスン県のヒュセイン・アクソイ知事、AKPサムスン選出アフメト・イェニ議員、同トゥライ・バクル議員、同アーキフ・チャアタイ・クルチ議員、CHPサムスン選出イフサン・カルカヴァン議員、同ハルク・コチ議員、MHPサムスン選出ジェマレッティン・シムシェキ議員、駐屯部隊司令官のオメル・バイラクチュ准将、サムスン広域市のユスフ・ズィヤ・ユルマズ市長と、多くの市民が参列した。

■ギレスン

軍警察特殊部隊所属の軍曹だったエムラーフ・エケルさん(22歳)は、故郷ギレスンに埋葬された。悲しみにくれる母のメディネ・エケルさんを女性下士官2名が慰めようと努めていた。エケルさんは、「息子よ、わたしはおまえのそばにもっといたかった。国のために殉職したのね。わたしは自分のことはあきらめるから、おまえもそうしなさい。国よ、ありがとう。もう一人の息子もおまえのかわりに送り出しましょう。私を呼んでくれれば良かったのに。そうすればおまえをかばえたのに。息子よ、最後に一度お母さんに会えるようにアッラーがおまえに許可をくださったのです。わたしが死んでおまえが死ななければよかったのに。息子よ、おまえのそばにもっといたかった」と嘆き悲しんだ。

葬儀には殉職者の家族や近親者のほか、AKPギレスン選出議員ヌレッティン・ジャニクリ議員、同メフメト・ゲルディ議員、同アデム・タトゥル議員、ヴォルカン・ジャナリオールDHP副党首、CHPギレスン選出セラハッティン・カラアフメトオール議員、ギレスン県のドゥルスン・アリ知事、ギレスン軍警察地方駐屯部隊司令官のエルハン・ギュデル准将、ギレスン市アフメト・ユスフアーオール副市長、森林総局のムスタファ・クルトゥルムシュル局長、各自治体首長をはじめ多くの市民が参列した。

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( 翻訳者:原田星来 )
( 記事ID:23301 )