Hasan Pulurコラム:「クルディスタン人」となること
2011年07月19日付 Milliyet 紙

なぜ書くのかと尋ねる人々がいる。私たちも自分自身に「何のために書いているのか」と尋ねる。
チェティン・アルタンは「5月27日(1960年クーデター)」の1ヶ月前、ベヤズット広場で警察と学生の衝突が起こった後、何と言ったか
『今日は記事を書きたい気分ではない!』
私たちもそうだ!13人の兵士が亡くなり、心躍ることもなく、手は動かない、書くとしても何を書くのだ!?
いつも同じことを書く、そうではないのか?

葬儀での、広場でのスローガンは変化しているだろうか?
「殉職者よ永遠に...」
しかし死んでいるのだ、彼らは死んで、葬儀が行なわれ、ヌトゥク(宗教的説教)が読まれ、そして私たちは記事を書く、そして...
新たな次なる「奇襲と虐殺」まで...

兵士が亡くなるたび、虐殺が起こるたび、みな書かれてある(決められた)プログラムを実行する...
治安部隊は山賊(PKK)を追うために必要な対策をとったという。もし数が大きく、事件が重大であるなら、アンカラから始まるプログラムは、殉職者の親戚の葬儀での慰安まで過不足なく行なわれ、政治家たちはヌトゥクを読みあげる...
とにかく「テロでは、解決しえない」という言葉がある!

「テロがどこへ行き着いたかが明らかなのに、これらはいまだ、昨日でさえ『テロでは解決できない』という言葉が踊りつづけている。
オジャランが日程を決め、時間を取っている。「政府との和平委員会を設立した!」と話し、兵士がさらわれ、13人の兵士が犠牲となり、自治が宣言された。
いや、山岳地帯ではなく、山ではなく、ディヤルバクルで...
850の代表とともに臨時総会を開いた民主社会会議(DTK)は「民主的な自治」を宣言した。採決された宣言文で、「クルド人はもはやクルド人としての存在を、(国家の中での)位置づけを欠いた人々としたまま生きていくことを望んではいない」と話した。DTKがディヤルバクルの平和民主党(BDP)県支部ビル内で昨日開催した臨時総会に、BDP国会議員、地方自治体の長たち、そしていくつかの市民団体からなる850人の代表が参加した。6時間続いた会合ののち宣言文を採決し、それを国会議員のアイセル・トゥールックが読み上げた。
「さぁ、今後どうなる?」

今後起こるのは以下のようなこと。トルコ人であることどころか、トルコ国家に帰属するということさえ捨て去っている。
もはや「出身はどこですか」と質問する人に対し、「クルディスタン人です」との返事が返される。
アイセル・トゥールックが読み上げた宣言文のなかで最後にこのように言われた。
「共通の祖国という理解、領土保全及び民主的国民という視点に基づいて、諸集団(民族)からなるトルコ国民としての一体性を固守しつつ、クルド人として民主的自治を宣言します。正当なる我らが訴えの中で、自治獲得のプロセスへの参加と強化を呼びかけている。わがクルド人の良心である知識人、作家、市民社会の代表、我々の土地に住むすべての人々が、自分自身を民主自治クルディスタンの民(クルディスタン人)と言うよう呼びかける」と。

この問題は最終的にどこへ辿り着くのだろうか?
ある朝起き上がり、ディヤルバクルにある政府関係の建物の「旗」が変わるのを目にすることだろう。
ありえないだろうか?
わかった、あなたはまだ「テロでは何ら解決されない」という人なのですね...

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( 翻訳者:小川玲奈 )
( 記事ID:23330 )