Akif BEkiコラム:平和民主党にカンディリ(PKK)を問う
2011年08月20日付 Radikal 紙

私は平和民主党(BDP)を、そして民主社会会議(DTK)を標的にしようといっているのではない。PKK(クルド労働者党、非合法組織)の後始末を彼らに問うつもりもない。セラハッティン・デミルタシュ(BDP会派代表)は「最近生じた事件のために、後始末が自分たちに突きつけられた」と不満を述べた。私ももっともだと思う。不満の中身の全てに同調する気もないが、少なくともこの部分には私は同意する。「人殺しども」との見出しをつけた新聞は、ある部分で間違いを犯したのであり、そのことを私は批判したい。PKKが流させた血の一滴一滴に対し、彼ら(BDP)を糾弾することなど出来ないのだと私は言いたい。そう、民主主義的正義にそぐわないのだ。何故なら、支援者(パトロン)はPKKの方だからだ。(BDPは)クルド人政策における決定プロセスの一員ではない。しかし、彼らは何故そうなれなかったのか?そうなれなかったことを問うことも、私たちがなすべきことではないというのか?文民(BDP)は決定者とはなれなかったし、主導権を山に潜む者達(PKK)から奪えなかった。つまりこの問題の責任は第一にBDPにある。カンディル(PKK)は、国会に参加することも、解決への道筋をも拒み、BDPの役目である文民分野を掌握した。戦闘機による攻撃を何度も招き、国を挑発して自分たちを攻撃させ、軍を動員させることなど、全てこの目的のためであった。

ムラト・カラユラン(カンディルに潜伏中のPKK幹部)の「行き詰まり」発言から、またカンディルにいる者達が攻撃の期間が過ぎたとして顔を向き合わせようとしてからまだ一年が経っていない時に、そしてオジャランが解決は近づいたと公言した時に、さらにはいくつかの進展の結果、停戦プロセスのために示された最終期日がほとんど無意味になった時に、カンディル指導部の頭に何かがよぎったに違いない。全てを、クルド人が政治により民主主義的に獲得したものすべてを吹き飛ばすことになる何かが。BDP党員達に、以下の質問を自らに問うて欲しい。すなわち「何が変わったのか?」「PKKは何故方針を変更したのか?」「軍を自分たちに差し向けることを、どうしてそんなにも望んだのか?」

カンディルは、私たちが見ている前でテロ活動を組織的にエスカレートさせた。公然と何故こんなことをしたのだろう?どのような戦略を追求するかを理解出来ていないこと、決断することを放棄しテロリストの命令に従い続けたこと、(これらは)BDPの明らかな失敗である。武装解除させることに役割を果たせず、自らに課せられた責務を果たすこともできなかった。武装解除が行われない限り、国家が軍事行動という選択肢を捨てることは期待できなかった。その結果BDPは自らが蚊帳の外に置かれたことに気付いたのである。BDPは選挙直後、解決のために、カンディルとイムラル島(オジャラン)を対話相手として提案した。大きな可能性と機会を目前にしながら、誤った戦略を追求したことで、その幸運を無駄にした。主導権をとることをためらったために、文民による政治を放棄してしまった。この責任をBDPに課してはいけないというのか?

そう、現在BDPはスケープゴート(身代わり)なのであって当事者ではない。受け身であり、テロ攻撃を正当化する理由を作り出し、正当化させる努力をし、合法性を獲得しようと努めても、カンディルと対等にはならない、それを私は言いたい。何かをもたらすとすれば、それは罪である、それが政治的な失敗であろうと。鎖を引きちぎることは出来なかった。しかしこうした問題(PKK)にかかわることの損害は、無責任というレッテル以外の何物でもない。失敗の言い訳は、BDP党員達の良心や政治責任を取り去っていない。犠牲となっているのはクルド人らの文民政治である。残念なことだ。現時点でBDPの存在は政治的意味を失った。存在意義をもう一度取り戻すため、失った機能を再び手に入れなければならない。逃した機会を取り戻すことがBDPには必要である。例えば、カンディルが武器を放棄するよう説得するため、力強い意志を示すことである。

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( 翻訳者:濱田裕樹 )
( 記事ID:23707 )