Sami Kohenコラム:カッダフィーの末路が示すもの
2011年08月23日付 Milliyet 紙

リビアのここ48時間がこれほどまでに早く展開することを、そして、6ヶ月前にカダフィー体制に対して始まった民衆蜂起の「最終」章がここまで早くやってくることを誰しも予想だにしなかった。

更に、反体制派でさえ、日曜日にトリポリに向かって進攻中、カダフィー側の何万人もの兵士が防衛する首都中心にここまで短時間で到達できるだろうとは考えもしなかった。それ故、暫定国民評議会の某関係者は、記者らに「願わくば、断食開け祭に(即ち来週に)2つの祝祭を同時に祝います」と語っている…。

日曜日夜に反体制派が、多くの抵抗に遭遇することなく「緑の広場」に到達したことは、実に大勝利であった。ちょうど初進攻時にカダフィー子息3名が拘束されたこともである…。

とはいえ、カダフィー派、及びその報道官らは、ちょうど先週土曜日まで、トリポリ側は、反体制派に対し勇敢に戦い、首都手前で一掃するであろうと声明を発してきた。国営テレビの女性アナウンサーは、側にあった武器を見せながら、反体制派に対し、必要とあらば最後の血の一滴まで戦うと発言している。

しかし、反体制派が初めに占拠した政府関連施設の一つにこの国営テレビがあった。同女性アナウンサーの安否不明はである。恐らく、彼女も首都防衛を担う何万人もの兵士ら同様、逃亡したのであろう!

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カダフィー体制の劇的な崩壊、及び反体制派の驚くべき勝利からは一連の結論や教訓が導き出される。

1)カダフィーは、42年続く自身の体制が、「アラブの春」がリビアへ波及せず全く影響を受けることはないだろうと、そして、カダフィーとその息子たちが 同じ地位に更に長期間居座ることができると考えていた。リビア東部で民衆運動が始まった際には、これを軽視し、民衆蜂起をテロ行為及び外国の策略と見なし た。独裁者カダフィーが「ネズミ」と呼んだ反体制派がベンガジを制圧後も尚、尊大な態度は健在で、カダフィー政府軍、精鋭部隊、そして近親者に信を置き、 反体制派を容易く「捻り潰す事」を想定していた。だが、ちょうど戦争開戦時に、ここまで尊大で自信に満ちた態度を取っていなければ、反体制勢力との歩み寄りを図っていれば、彼はこういった状況に陥ることはなかった。

2)カダフィー体制崩壊でNATOは大きな役割を担った。国連安全保障理事会の決議を受け作戦を開始したNATOは、集中空爆でリビア側の軍事力を削ぎ、 主要施設を破壊した。確かにNATOの作戦は、安保理決議の制限を時折超え、民間人の保護というよりむしろ、カダフィー政権崩壊を狙ったものであった。しかし、結果的に、空爆作戦だけでも非常に効果があったことが証明されている。一方、地上作戦は、反体制派が実施し、公式ではないが、彼らは一部のNATOメンバーから(武器、物資、指導、情報収集の分野で)積極的支援を受けた。恐らく「外部勢力」の介入がなかったならば、カダフィーは、反体制派との戦争を更に長期化させ、容赦なく続けたであろう。

3)カダフィーが、自身に非常に忠実だと見なす文民や軍事関係者の一部が、即座に反体制派に回った。カダフィー自身は、これを重く見ることはなかった。ちょうど反体制勢力がトリポリに入城した際に、兵士らが抵抗ではなく逃亡を選ぶ時まで…。

4)カダフィーは、「緑の革命」が全人民に受け入れられたものと信じていた。最近、カダフィー支持者らが開催したデモは、彼を鼓舞するものであった。こういった活動が、どれだけ見せかけで欺瞞的なものであったかが今、見て取れる。今度は、何十万人もの人々が反体制派に敬意を表し、『緑の書』を燃やし、変革や自由を唱えている。

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リビアの「経験」から、特に中東地域の指導者たちは非常に重要な結論や教訓を導き出さねばならない。

現在、リビアは、新時代へと突入している。この新時代は、極めて不透明で、非常に困難な時代となりそうだ。

これについては、明日の記事で取り上げたい。


(本記事はAsahi中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:藤井庸平 )
( 記事ID:23733 )