Aslı Aydıntaşbaşコラム:私たちは幸せなのか?
2011年08月26日付 Milliyet 紙

実のところ、私たちはこの惑星の最も素晴らしい場所のひとつに暮らしているはずである。
トルコは21世紀に力を持つようになった国のひとつである。我々の機は熟した。
アメリカは「二番底」といわれる経済危機に揺れ動き、ヨーロッパは物的、精神的な破滅の崖っぷちにおかれ、近隣のアラブ諸国の市民は私たちが半世紀上も前に手に入れた権利を求めて命を犠牲にしているとき、私たちはなんら心配ごとなく、安寧であるはずだ。本当に!
経済は順調で、民主主義には不足もあるが望む人は外で声をあげることも自由だ。
不正は深刻だが、いまだ目立たぬところに良心を持った裁判官、検察官、新聞記者、政治家らがいる。協会をつくり、公然と反対の声をあげることもできる。
インターネットも自由、最低限、ツイッターがある!
気候もよく、天気は寒くもなく暑くもない。
昨年の冬は魚が豊富だったし、今年もおそらくそうであろう。
スーパーマーケットはすばらしく、新しくオープンした冷暖房完備のショッピングセンターはもっと素敵だ。
そして何にも増してテレビドラマ!新しいシーズンに入り、意味のない会話で延ばし延ばし2時間になったテレビドラマを、私たちは心待ちにしているのだ!
先に述べたとおり、トルコ人には幸せになるためのこんなにたくさんの理由がある。

しかしながら私たちは幸せではない。
なぜなら、私たちのいるこの場所は、心の平和がもたらされず、リベンジの欲求を捨てきれず、神経質で粗野、唯心的志向のあらゆるすばらしい見せ掛けに対し、唯物論が幅を利かせている場所だからだ。
娯楽の場を除けば、私は外で笑い、楽しそうで幸せそうな人々をあまり見かけない。みなさんは見かけるでしょうか?
交通機関、市場、ショッピングセンターなどにいる人たちはみな眉をしかめ、爆発寸前の爆弾のようだ。
私は毎日このような人々に遭遇する;立派な大人や女性たちが心配ごとを説明できず、言葉で問題を解決できない。悩み苦しみ、喚き叫び始める。
家庭の外でも平穏はなく、家庭内でもそれはない。夫から暴力を振るわれる母親は子供を虐待する。父親に当時殴られていた大の大人は、大物になった現在、フラストレーションを周囲に撒き散らしている。
実際のところ、トルコには平穏で良心的、ナームス(貞操概念)を持ち合わせた人たちがたくさんいる。ところが彼らも厭世的になり何もしない。
21世紀の、高まる力とはこのようなものなのか?

いま私は10日間の休暇中だ。
先日1人の親友からメールがきた。何年か前に左派闘争で刑務所に入れられ、出所後に海外へ逃げたクルド人だ。はっきり言おう、PKK(クルド労働者党)のシンパである。戻ってこられないのだ。
「親愛なる友へ」と始まる手紙には、ここ数日間眠れずにいることや、カンディルに向けてとられた作戦を不安を持って見守っていると書かれている。「あなたがバカンスにいるから、というのではないが、人生についての素晴らしいことを書きたいと思っていた。でも、これまでに経験したものがその思いを凌駕した。爆撃は7日目を過ぎた。あなたに書いているこの今も、続いている。空爆を受けている場所には私の友人や知人、私の知らない人々がいる。私はこうして自分だけが安全で楽なところにいるということが恥ずかしいのだ」
メールを受け取ったあと、しばらくじっと考えた。
カンディルに向けた空爆作戦を苦々しく不安に見守る人が何人いるか、いったい誰が知っていようか。

こんな国を思い浮かべてほしい、一方では「万歳!」といって歓喜を挙げているとき、その山のふもとで、反対側で、付近で暮らす人々は「ああ!その人たちは私の友人、親戚、子供なんだ」といって静かに涙を流しているのだ。
トゥルクビュキュで、アンタリヤで、アラチャトゥで、人々がセレブな海岸で海水浴をしているとき、バトゥマンやマルディンで暮らす人々は日中、山頂を通過するF16戦闘機を不安そうに見つめている。
アンタリヤでも、トラブゾンでも、涙を流す母親が兵役にいる息子(の無事)を待っている。
これほどまでに大きく分け隔てられた状況があるというのは普通なのだろうか?
これだけではない。
将官や士官を投獄し、参謀総長の一挙手一投足を探偵のように注視する。この国の一部が「民主主義万歳!」とエールを送る一方で、残りは録音テープや書名のないワード文書、秘密当局によるリンチに対して無言で抵抗しているのだ。
何十人もの記者が刑務所に入れられているのに、誰の良心も痛まない。
海外でトルコ人に遭遇するたびにいつも軽く恥ずかしい気持ちになる。
大声で喚きながら会話をし、彼らを悩ませる唯一は買い物だ。彼らは「このかばん、あちらの店では20ユーロじゃなかった?」とは言うが、本や展示会、美術館とは言わない。
でも私は驚かない。
お金が全てのものに勝り、全ての成功は経済力で測る。こういう国だ。
どうかお願いです、こんな国で幸せなんてあるのでしょうか。

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( 翻訳者:金井佐和子 )
( 記事ID:23760 )