チャナッカレの発掘調査で新たな歴史的発見
2011年08月29日付 Radikal 紙


チャナッカレの発掘調査で 3行のフリギア文字が刻まれた碑文が発見された。フリギア国家の境界が内アナトリアを超え、マルマラ海にまで及んでいたことになる。

チャナッカレ・アタテュルク大学考古学部のジェヴァット・バシャラン教授が代表を務めるパリオン古代都市発掘調査団は、次々と興味深い発見を行っている。パリオン近郊で行われた調査では、コジャギュル村広場で発見されたひびの入った大理石も調査の対象となった。3行のフリギア文字が刻まれた碑文は、文字通り従来の歴史認識を変える発見となった。

調査団団長のジェヴァト・バシャラン教授は、パリオン古代都市の発掘が8月25日に終了したことを想起させた。同教授は、パリオン近郊を明らかにするべく近郊エリアで調査を継続し、コジャギュル村広場で見つかったひびの入った大理石に注目した。そして、大理石に刻まれた碑文が歴史を塗り替える重要な鍵となると述べた。バシャラン教授によると、周辺の村民が数年前に文字が刻まれた石を近くの貯水池から引き上げ、村の広場に飾っていたことを明かし、発掘調査で(見つかった)石がフリギア文字の刻まれた境界石である、とした。また、碑文がアナトリア考古学において非常に重要かつ、フリギア史を塗り替えるものである、と語った。

■首都ゴルディオン、ミダス王

ジェヴァト・バシャラン教授は、紀元前1200年以後、フリギア人がバルカン地域からアナトリアに進出したと述べ、この石碑の重要性について次の様に述べた:

「歴史の記録によると、フリギアは、エスキシェヒル・アフヨン地域で紀元前8世紀に建国、ゴルディオンを首都とした。ミダス王が最盛期の王と知られており、唯一神を崇拝するという点もアナトリアでは独特である。国境は内陸アナトリア地域に限定されていたが、今回発見された3行の碑文は、フリギアの国境がパリオンまで、つまりマルマラ海まで伸びていることを示している、という点で重要である。フリギア大王国は内陸アナトリアのみならず、更に西へ延びていたのだ。」

ジェヴァト・バシャラン教授は、フリギア文字を解する在独の専門家に碑文の解読を依頼し、それによりさらに確かな情報が得られるとし、ただ仮説として、この碑文が境界石であったのではないかと指摘しているのだと述べた。同教授によると、大理石はチャナッカレ考古学博物館で保管されている。

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( 翻訳者:山根卓朗 )
( 記事ID:23791 )