UĞUR GÜRSESコラム:「トルコ人の夢」を考える
2011年08月31日付 Radikal 紙

トルコ人に平均的な「トルコ人の夢」とはあるのだろうか?
あるとしたらその定義とは?


様々なテレビ局が日中放送している結婚プログラムに参加する人々は、結婚相手候補者へ一様に約束したかのようにみなこの3つの質問をする:「家を持っていますか?車はありますか?どのくらいの月収がありますか?」
我々多くの人々は価値観が呼び覚まされ、このような質問を非難したくなるのかもしれない。下品だと考える人と同じくらい、この質問を当然で的を射ているものだと考える人がいるのかもしれない。
しかし私はこの質問が社会における貧困や社会保障が不十分であることに関係していると考えている。
この例をきっかけに、このような質問が思い浮かんだ:トルコ人の平均的な「トルコ人の夢」はあるのだろうか?あるとしたらその定義はどのようなものだろうか?
「持ち家があり、家の前に車を寄せること」だろうか?
あるいは最も貧しい人々を基準にするならば、仕事の保障がなされた公共部門で、定期的な収入をもたらす仕事に就くことだろうか?
中程度以上の収入層を基準にするならば、ここ20年来、私立学校や大学の試験のために試験(対策)センターの前で集団で子どもを待ち、子どもたちにその費用を捻出する家族に目を向けて、「トルコ人の夢は『持ち家を手に入れ、子どもに良い教育を受けさせる』ことである」というのは間違いだろうか?
いや、おそらく「持ち家と、誇り高き生活を維持できる年金」を夢と言う人々も決して少なくはないと私は思う。

■夢=家

私に言わせるならば、あらゆる層において、持ち家を手に入れることは「トルコ人の夢」として上位を占めると思われる。
「トルコ人の夢」がどんなものなのかの答えについては、研究機関(おそらくトルコ統計機構)に任せよう。しかしその結果は政治家たちへ、政策の展開、あるいは優先事項の決定などの点で非常に重要なヒントを与えることだろう。
「トルコ人の夢」が完全にどのようなものなのか、私たちはわからない。しかし「アメリカ人の夢」がどのようなものかと調べたアメリカの全国金融教育基金(NEFE)は、次のような結果を導いたという;18歳以上のアメリカ人の47%が「アメリカ人の夢」を、年金生活になるまでに十分な財力を持つことだと答えたという。調査に参加した17%が「持ち家を手に入れること」と答え、5%が「早期の年金生活」としていたそうだ。

■働かないで生きること

アメリカ人の47%の人々が持つ夢が、人生のある一定期間を働かずして楽に生活するために、その時間を買うことができるだけの富を持つことだ、ということがこの調査からわかる。これを誰が求めずにいるものだろうか?
一方で、アメリカ人の5%は「子どもの教育費を払うこと」、4%が「投資できるだけの資金を持つこと」、同じく4%が「教育ローンを返済すること」、3%が「自営業を起業すること」としている。私たちには興味深いものに映るが、アンケートに協力した人のうち、たった3%が「車を持つこと」と答えたという。
ここからは次のようなことが明らかだ;経済的、社会的、文化的な違いは「夢」として描く願いやその順位をも変える。一国の中の収入別グループや社会階層の間ですら、違いがあるのだ。こうしたことから、「トルコ人の夢」が何であるか、最も頻繁に表される「夢」がどれであるか、非常に興味深いものがある。
全ての人が自分の「夢」を実現させることができますように、との願いとともに、良いバイラムを!

(本記事はAsahi中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:金井佐和子 )
( 記事ID:23806 )