Hasan Cemalコラム:イスラエルはこのまま行けば自分で自分の首を絞めることになるだろう
2011年09月08日付 Milliyet 紙

イスラエルでは今日でもなお、ネタニヤフ・リーベルマン政権のスポークスマンが、トルコにおける軍の後見の破綻や対イスラエル関係の反転について「エルドアンのイスラム主義」をもって説明しようと躍起になっている

この1つの真実は非常に明白である:アラブ世界で民主化の風が吹けば吹くほど、イスラエルは面白くないのだ。
なぜなら、市民が投票する選挙によって出現する政権はイスラエルに対してより強硬で、より扱いにくい厄介な政権になるからだ。
別の言い方をすれば、アラブの春はイスラエルにとって恩恵がないものだとも言える。
このままの思考を持ち続けるなら、イスラエルは中東においてどんどん孤立していくだろう。
昔はこうではなかった。
イスラエルの策の範囲はもっと広かった。
アラブ諸国の忌々しい独裁体制が、アメリカやヨーロッパに独裁への支援継続を望むときにいつも唱えていたのは「我々を支援してくれ、さもなくばイスラム過激派に政権が移ってしまう。ここでは投票による選挙は誰の得にもならないのだ」という詩だ。
アラブ諸国の独裁者たちは自国民をもイスラエルを利用して脅していた:
「いまは民主主義のときではない。イスラエルと闘うには、シオニズムと闘うには優先すべきは民主主義ではない、連携、一致が必要だ」。
一方、イスラエルもこの状況に満足していた。
西側、とりわけアメリカは安定の名の下で中東における現状に理解を示してきた。
さらにイスラエルは、アラブの独裁政権をいいことに、投票選挙によって選ばれた政権では結ぶことが不可能な「和平」を含めたいくつかの合意を、例えばエジプトやヨルダンの独裁政権と交わしてきた。
そしてパレスチナ人に暴力を振るい、「パレスチナにおける解決」に背を向けてきた。
レバノンにしばしば手を出し、イラクやシリアに爆撃を加えることもできた。
イスラエルを、中東における独立した粗暴な力―あるいはエルドアン首相の言葉を借りるならば―甘やかされてわがままに育った子どものようにしてしまったのは、アメリカのバックアップだけではなく、アラブ諸国の独裁体制もその一端を担いだのだ。
なぜなら、アラブ諸国の独裁者たちにとって最も恐ろしいものも「変化」だったからだ。自分たちの独裁体制に、民主主義や法律、人権といったものが打ち寄せられてくるのが怖かったからだ。
というわけで、これまではイスラエルとアラブ世界の間にはこのような奇妙な均衡があった。アラブ諸国が市民を民主化の波から守ることは、イスラエルの意にかなうことだったわけだ。
この状況の痕跡は、トルコとイスラエルの関係の動向からも明らかだ。
1990年代がそのよい例となるだろう。
1997年2月28日過程の時期も含むその数年間で、トルコとイスラエルの関係は非常に進展した。
トルコのその時期の顕著な特徴は、脆弱な連立政権や南東部での騒乱の結果、政治の場における軍の重みが増していたということである。
1990年代の二国間関係の飛躍には軍の果たした役割が大きい。
イスラエルの、そして一般的な意味でユダヤロビーのトルコへの見解には、軍寄りのアプローチが支配的である。
いかにもアラブ諸国に民主主義が必要ないならば、トルコも二流の民主主義による統治が可能なはずだった。
そしてアラブ世界において民主主義がありえないならば、トルコにおいても軍の後見が必須条件だった。
なぜならイスラームと民主主義は相容れないもので、ともに進めることは不可能なはずだったからだ。
イスラエルとユダヤロビーの思考は、この人種差別的でイスラーム敵視の見解に不変的に縛り付けられているのである。アラブ世界にしろ、トルコにしろ、基本的に彼らはこのような色眼鏡で見ているのである。
アラブ世界以外に、例えばトルコの過去数年間のなかで「世俗主義のクーデター」が起きていたとしたら、EUとの関係が完全に覆されたら、イスラエルはさぞ満足したことだろう。
イスラエルでは今日でもなお、ネタニヤフ・リーベルマン政権のスポークスマンが、トルコにおける軍の後見の破綻や対イスラエル関係の反転について「エルドアンのイスラム主義」をもって説明しようと躍起になっているのだ。
神よ、どうか助言を!
イスラエルはこのような思考を変えない限り、そしてパレスチナ人の権利を不法に奪い続ける限り、日を追って孤立化し、自分自身の首を絞めることになるだろう。
トルコとイスラエルの関係が正常化し、発展することを願う1人の新聞記者として私はこの記事を書いている。


(本記事はAsahi中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:金井佐和子 )
( 記事ID:23878 )