ファーティフ・アクン監督、自身と映画を語る
2011年09月12日付 Radikal 紙


著名な映画監督は、自らの半生や映画、ボクシングの経験について語った著書、『私の映画小史』で文学界への進出を控えている。

木曜日に発売予定のファーティフ・アクン著『Im Clinch - Die Geschichte Meiner Filme (私の映画小史)』の一部がハンブルガー・アーベントブラット紙に掲載された。

アクン監督は本で幼少期について、幼い頃は好奇心旺盛で、しっかりした子供だったと語る一方、弟のジェムさんとはいつもお互いを意識していたと話す。「私の両親は家では厳しかったですが、私たちのことをとても愛してくれました。よく叩かれてもいました」と語り、ドイツ語を遊びながら身に付け、家ではトルコ語を使っていたと明かす。学生生活にも触れられており、「母は典型的な教育家で、宿題をいつもチェックしていました。私は学校では真面目な生徒ではありませんでした。クラスでは友達とよくおしゃべりをしていました」と書いている。

12歳から様々な事でお金を稼ぎ始めたというアクン監督は、「他の友達が休暇中の時も、私は朝6時に工場にいなければなりませんでした。それでも父には感謝しています。私が身に付けた規律や得た信頼は今の仕事でも私の指針となっています」と綴る。

ファーティフ・アクン監督は自身の本で「高校卒業までトルコは私にとって保養地でしかありませんでした。トルコで暮らしている人たちと当時は全く関わりがなかったです」と語っており、トルコを自身の短編映画「雑草」で発見したことを強調している。アクン監督はアメリカからしばしば映画制作の依頼を受けていることにも触れた。

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( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:23924 )