Nuray Mert コラム:「アラブの春」と、トルコとの蜜月
2011年09月13日付 Milliyet 紙

私は、1人のトルコ国民として、「オスマン帝国の夢」を思い描き、それを外交政策に反映させることは問題だと考えている。一部のコラミストは、明確に新「オスマン人」思想、新「世界帝国」思想を肯定しているが、この考え方を問題視している人間も、同じように明確に批判を表明する必要があると思う。しかし残念ながら、「オスマン帝国の夢」が「国家戦略」だと考え、それにそって、批判を封じ込めようとする状況が徐々にひろがり、批判の声はかき消されつつある。ダヴトオール外相は、自分の戦略は「新オスマン主義」ではないと明言してはいるが、現在の状況は上記のとおりだ。

■「アラブの春」の重要性

もちろん、中東諸国と緊密な関係を築くことには何の異論もない。もし反対するなら、「東方会議」のような活動に加わることはなかっただろうし、過去の中東認識の誤りを指摘するたくさんのコラムをかくことはなかっただろう。10年来、中東各国を飛び回り、これらの国の知識人や政治家たちと関係を築くこともなかっただろう。

しかし私は、トルコの中東地域のリーダーになろうとする野心には、国際的にも、また内政の点からも問題があると考えており、そのことは何度も繰り返し書いてきた。「アラブの春」とその後の展開は、これまで論じられているのとは違う見方で評価しなくてはいけないと考えている。一番最近では、「9.11」との関連で「アラブの春」が、イスラム過激主義との戦いにおいていかに重要な一歩であったかを強調した報道がされたことは、この事件がどのように世論に「売られているか」を非常によく示している。

中東各国の権威主義的体制に対してだけでなく、この体制を支えてきたアメリカや西側諸国に対する民主主義的反対運動としてはじまったアラブ世界の民主化運動が、西側の主要メディアと政治家によってこれほどまでに称賛されるのは、ちょっとへんだとは思わないのだろうか。いまでは、イラク占領前のブッシュを支持し、(イスラム過激派の容疑者に対する)水責めを拷問ではないと主張した「左派知識人」クリストファー・ヒッチェンス氏さえ、「アラブの春支持者」になっているほどなのだ。

トルコの中東政策も、西側諸国からはこの枠組みで支持されている。その限りでは、イスラエルとトルコの対立はそれほど問題視されていない。この地域の動きの鍵をにぎるイスラエルと対立することは、今のところ「許されている」。エルドアンの今回のアラブ歴訪も、この枠組みで考えてみるといいだろう。

独立を宣言するパレスチナ自治政府が、まもなく国連によって承認されるかどうかも、議題にもぼっている。国連でのパレスチナ国家の承認はパレスチナ問題の展開においては、大きな勝利とみなされるだろう。しかし、本当にそうだろうか。そうなれば、国連はPLO(パレスチナ解放機構)ではなく、ヨルダン川西岸地区とガザで暮らす人々を代表する国家を承認することになる。こうして周辺国家に流出したパレスチナ人は完全に代表権を失うことになる。パレスチナ問題のもっとも致命的な問題であるパレスチナ難民の「帰還の権利」は棚上げにされてしまう。

■メフディ・ハサン氏とアッバース議長

「イスラム過激派テロと戦い」という名目でのイギリスにおけるムスリムの権利と自由への圧迫、また、世界的規模での攻撃的な外交政策に対する批判で知られるメフディ・ハサン氏は、ガーディアン紙の9月2日付のコラムで、この点を特に強調していた。国連はPLOを1974年以来承認しており、1976年以来、PLOは国連安全保障会議での討議に参加する権利をもってきた。パレスチナ自治政府のマフムード・アッバース議長は、同時に全パレスチナ人を代表するPLOの代表として国連に参加する権利をもっている。それにもかかわらずパレスチナ国家が宣言されれば、彼は(狭義の)パレスチナに暮らす人々だけを代表しているとみなされることになる、と強調している。

■誤読に注意!

「アラブの春」、「パレスチナ問題での勝利」、「中東でのトルコのリーダー性」などといっているうちに、地域でおきていることを深く掘り下げて考える場が失われつつある。私たちトルコに暮らす人間にとっても、こうした展開が民主主義を困難に陥れる形で「内政へ反映」してくることは、非常に問題だ。

しかし、トルコのような「外側」のアクターではなく、アラブの民衆の中から生れ一世を風靡したナセルの権力でさえ、1967年の戦争を契機に、いかに突然の崩壊を迎えたかを忘れないでいよう。「アメリカは反ナセルだった、あの時代、アメリカはイスラエルを最後まで応援していた」といって、安心してはいられない。条件はかわったが、状況を読み間違えた大きな幻想は、ある時点で、いきなり壁にぶちあたる。そもそも、大きく波打つ綱を頼りに井戸に降りるのは間違いなのだ。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:23960 )