リビア:アル=カッザーフィーの寵愛を受けたシルトの町はその代償を支払う
2011年10月21日付 al-Hayat 紙


■“寵愛”されてきたシルトは代価を支払う

2011年10月21日『アル=ハヤート』

【ロンドン:本紙】

ムアンマル・アル=カッザーフィーがシルトの町にどれだけ特権を与えてきたのであれ、シルトの町はその代価を払った。シルトは現在、広範に破壊され、戦闘の痕跡をとどめていない建物は、もはやシルトにはひとつもない。

シルトの町は父親に一番甘やかされた子供に似ていた。父親がいなくなった今や、他の子どもたちが彼に復讐する番がきたのだ。

イギリス国営放送(BBC)の記者は、次のように伝えた。「我々は先週の大半を、シルトの町の戦線で過ごした。その間、太陽の暑さから逃れ、戦闘から身を守るために、あまり大きくは破壊されていない小ぎれいな邸宅に滞在した。」

「町の中心部に位置する3階建ての豪華な邸宅で、いくつかの窓が破壊されており、内装も一部破壊されていたが、その後戻ってみると意図的に破壊され、国民評議会の兵士によって火をつけられていた。」

「兵士たちが邸宅を調べたところ、その持ち主がアル=カッザーフィー政権で高位の職に就いていた実業家だと判明したのだ。兵士たちがやったことは、復讐や報復以外のなにものでもない。」

「そこから遠くない場所には、完全に焼失した別のもっと大きな邸宅があった。その持ち主はアル=カッザーフィーの娘アイーシャであり、アイーシャ自身が町から逃亡する前に放火したのだと我々は聞かされた。」

アル=カッザーフィーはこの町[シルト]をリビアの首都にするという大きな計画に取り掛かっていた。しかし、アル=カッザーフィー政権のほとんどの祝典や大規模行事がここで行われたにもかかわらず、この計画は成功しなかった。

シルトが最終的に陥落した後、より良い方向であろうと、より悪い方向であろうと、リビアでは多くの事柄が変化するだろう。しかし、アル=カッザーフィーが与えていた特権をシルトが今後享受することがないことは確かだ。

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( 翻訳者:増田里紗 )
( 記事ID:24300 )