Ismet Berkan コラム:地震を政治の話にしてしまうこと
2011年10月25日付 Hurriyet 紙

自分たちが感情で動く民族であることを、このような悲しい大事件ののち改めて確信した。まずは、「感情」で動く。そのあとで、場合によっては「理性」がはたらく(こともある)。

地震は自然の現実だ。ここは地震国で、ヴァンのような町では地震とは何かが他の場所より知られているにもかかわらず、地震に対し十分な技術的な対応ができていないのが、我が国の現実だ。今回のヴァン・エルジシュ地震はそのことを改めて証明した。ビルは壊れ、人々は命の危機と戦っている。建設現場から盗まれたのは、建築資材ではなく、人命だ。しかし今日書きたいのはそのことではない。ここでいいたいのは、地震への反応だ。特に政治的な。

最初の反応は、ちょうど地震がおきた時刻にイスタンブルのタクスィム広場で、反クルド・デモをおこなっていた民族差別主義者たちから現れた。そもそも、先日の(チュクルジャでの)PKKテロ以来、国中を民族差別主義の風が吹き荒れていた。地震はこの風を止めるどころか、さらに加速させた。

同じような民族差別主義者の声は、(昨日、アフメト・ハーカンがコラムで書いたように)、フェイスブックに山のように書き込まれた。これは、トルコがなんとかしなくてはいけない、それより前に、まずは直視しなくてはいけない、非常に重要な社会的問題だ。「わが国に民族差別主義は存在しない」と言う人たちは現実を見ていないのだ。

民族差別主義反応は、通常では決して民族差別主義者と同じカテゴリーにはいない人、どちらかというと「善良な」人の中にもみられた。すぐに、「地震の苦しみは、私たちをひとつにする」と言い始めたのだ。

これは、一面ではこういうことだ。つまり、私たちは別々だったが、だからこそ一緒になる必要がある、といっている。本当に?あちこちから、「ちがう」の大声が聞こえてくるようだ。ほら、いったでしょう。我々は感情で動く人間なのだ。

この発言の別の面は私にはより興味深い。現地では人が死に、あるいは、危篤の状況だ。瓦礫の下で救出をまっている。他の人は手で瓦礫をどかし、妻や夫、友人、家族を、あるいは見ず知らずの誰かを助けようとしている。しかし、我々はここで、なんと政治の話をしているのだ。

この地震が、トルコの将来、政治的な一体性にどう影響するかを話している。それも面白い問題で、もちろん話さずにはいられないのだろうが、しかし、数日くらいはそれをやめて、そのかわりに地震の被災者をどうやって支援をするかを話してはどうなんだ。どうせそのあとに政治の話をする時間はいくらでもあるのだから。

■アフメト・テズジャンに感謝

地震の一報をきいたときは移動中だった。地震の知らせはツイッターで知った。もちろん、すぐに、インターネット上で憎悪と民族差別主義の爆発がおきたが、その一方で支援の爆発もあった。
はじめは、皆が好き勝手に発言していたが、そのうちに、記者で私の友人でもあるアフメト・テズジャンが間に割って入った。そして、いい提案をした:EvimEvindirVan (私の家はあなたの家、ヴァン)プロジェクト。

ヴァンで家を失った人に、トルコの各地で一時的に住む家を提供するためにつくられた有志の運動だ。アフメトは、ただ提案するだけでなく、まずイスタンブル県庁、それから他の県に連絡し、そしてこの件でのコーディネートを各県が行うように調整した。この有志の輪が、刻一刻と広がっていった。

■支援の方法―「ありがた迷惑とならぬよう」

チュクルジャでのPKKテロの後でもそうだったし、今回も繰り返されたが、チュクルジャでの襲撃のあと、ちょっと配慮の足りない連中が現地の軍警察署の電話番号をフェイスブックに書き込んだ。するとそれが広まり、その結果、軍警察署の電話がパンクして仕事もなにもできない状態になった。地震のあとでも、被災地に何か支援をしたい人たちが、もちろんその瞬間にはまだコーディネーションができていないため(今だって、どうだか、という状態だが)、あちこちに電話をかけまくった。その結果、本来なら有意なエネルギーを、おそらく有害な形で使った。撫でようと思って、首をしめてしまわないことが必要だ。

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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:24350 )