ヴァン地震被災地で、支援物資争奪
2011年10月26日付 Milliyet 紙

トルコのクズライ(赤新月社)のアフメト・リュトゥフィ・アカル代表は、地震発生から48時間以内にテント2万張りを被災地に送り、それが史上最大規模の支援物資の輸送になったと述べ、「被災地でのテント不足を解消するために、12万張りのテントが必要です。誰もが自宅の前から離れたがらない。このことが大量のテントの需要に結びついた。テント不足の理由はこれです」と語った。

■「17台のトラックが争奪に遭った」

”メヴラーナの家(プレハブ住宅の名称)”が被災地に送られたとも述べたアカル代表は、被災者のこころのケアをするために、クズライの精神科医も被災地で働いていると説明した。

アカル代表は、被災地にあるトルコ・クズライ・血液センターから負傷者のために1500ユニットの血液が病院に送られたと述べ、「負傷者に必要な量の2倍の血液は、被災地にストックされています。よって被災地での血液不足の心配はありません」と述べた。

アカル代表は、トルコの少数民族の財団も被災者のためにさまざまな援助をしていると述べた。

また地震発生後よく見られるように、ヴァンでも争奪者が現れたことを指摘したアカル代表は、「17台の(物資輸送用)トラックが争奪に遭った。ヴァンのテント村でも争奪が行われたらしい。市民が抵抗したためテント50個は守られたようだ。またクズライのヴァン支部にもこれら争奪者がおしかけた」と述べた。

■支援物資、トラックで奪い合い

ヴァンにトラックや大型トレーラで運ばれた支援物資は、市の入り口で住民たちによって争奪された。支援物資が争奪にあったため、別のトラックは速やかに市の中心部に向けて出発した。

トルコ中から集められたテント、毛布、衣類、食糧を乗せたトラックや大型トレーラは、ヴァン-エルジシュ間の道路で市民の乗った車に行く手を阻まれ停止させられた。(トラックとトレーラを停止させた)車から降りた人々は、今度は積み込まれた支援物資を外側で待っている人たちに投げ与えた。支援物資は道路で待ち構えていた被災者たちによって争奪された。その場にいた被災者の一部はテントなど、奪った品を車のトランクに積んでいた。

支援物資が奪い合いになったとき、周囲に支援のために派遣されたスタッフがいなかったことが注目された。関係者は、トラックを阻んだ人たちに対して取り調べを行い、配給地点は配給が秩序よくなされるために市の中心やあらかじめ決められた場所が選ばれていたと述べた。

■エルジシュで深夜、テントを待つ列

日曜日に地震が発生し、避難所の問題が深刻になってきたエルジシュで、建物の損害または恐怖のため自宅に入れない被災者たちが、郡知事府の承認書を手にテントをもらうためにヴァンの高速道路に置かれているエルジシュ郡軍警察司令部の前に長い列を作った。雨のなかテントを待つ人たちのために軍警察も支援を行った。被災者たちは、トラックから降ろされたテントを、軍警察の敷地の外に止めてある車まで運び、それを積み込んで(避難所へと)戻って行った。これら一連の作業のため高速道路エルジシュ-ヴァン間は通行止めになった。

クズライが二カ所に分けて設置したテント村では、そこで生活を続ける被災者たちのショックも和らぎ始めた。クズライによって生活用品が満たされた被災者たちは、昼も夜も温かい食事を摂ることが可能になった。

■村長34人辞職

緊急物資が手に入らず、テントも配給されていない被災者たちは、自分たちの要求を取りつがなかったことを理由に、地区の村長(街区長)たちへも反発を示し始めた。これに対し村長たちは被災者の要求に関係者が応じなかったことを明らかにし、反発が次第に自分たちに向けられるようになったと述べ、その会見をもって集団辞職した。

県災害緊急協会の前に集まった25人の村長は、34地区の代表として記者会見を行った。会見を行った村長協会のテメズ・デメズ会長は、市民は地震発生から一定期間が過ぎると次第に神経を張りつめ、そしてそれ故に自分たちがやり玉に挙げられているのだと語り、「支援物資は来るも、村長は配給をしない」というコメントが広められたと言った。

デメズ会長は、「昨日は私が、今日は仲間の別の村長がやり玉に挙げられました。私たちに権限はないのです。政府関係者と私たちはつながりがありません。だから私たちは集団辞職するのです。市民に一刻も早くテントが行き渡ってこの不安が消えますように」と言った。会見のあと村長34人の辞表が、25名の代表によってヴァン県知事府に提出された。

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( 翻訳者:大嶽真梨子 )
( 記事ID:24360 )