Derya Sazak コラム: アズラちゃん
2011年10月30日付 Milliyet 紙

トルコ共和国第88回建国記念日を我々はヴァン地震の喪に服しつつ、祝福した。

毎年行われる軍事パレードも今年は行われなかった。

トルコは地震の前もPKK(クルド労働者党)のチュクルジャ攻撃による24人の犠牲者(殉職者)に揺れた。軍が北イラク国境で始めた作戦は、南東部が再び1990年代の「低強度紛争状態(戦争と平和状態の中間にある緩やかな紛争状態)」に戻ったことを示している。一方で地震、他方で抗争となると10月29日をも「低強度に」祝うほかなくなる。あれほどの平和へ向けた努力にもかかわらず、トルコをここ30年間統治してきた者たちは、イギリスが北アイルランドで、スペインがバスク地方で行ったように、「テロと政治を」分け、問題に対して永続的な解決策を見つける事ができなかった。PKKも、IRA(アイルランド共和軍)にもETA(バスク祖国と自由)にもなる事ができなかった。血を流せば流すほど、疎んじられていった。

武装闘争のためだけと条件づけられた組織が、地震のような境界のない災害において人間らしい感情をどれ程鈍らせうるものか、我々はヴァンで見た。がれきの下に残されたのは、「国はどこにいるんだ」と我々に叫ばせたどうしようもない官僚主義やテントを配る事ができない赤新月社だけではなかった。クルド人の票で選ばれた平和民主党(BDP)の地元の幹部や国会議員も何もしなかった。何年もクルド問題を定義する「概念」によって政治を行ってきたこの人たちも、現実生活や社会的経済的問題への視点が抜け落ちていたために、まるでヴァンにあるはずのない活断層のようであった。
アンカラで「声明合戦」が繰り広げられる中、ヴァンでは「奇跡の命」が生まれていた。
14か月のアズラちゃんを救ったイズミル市民防災救出チームの一人、カーディル・ディレキ氏がラディカル紙に語った話は感動的だ。

「私は母親のいる所へ這ってたどり着きました。意識がしっかりしている冷静な女性でした。ソファーのうしろ側に仰向けに横たわっている状態でした。頭だけは私に向ける事ができていました。赤ちゃんは一声も出さずに母親の左肩の上に横たわっていました。
母親は赤ちゃんを左肩の上から渡しました。私はそっと赤ちゃんを自分の方へ引き寄せました。母親と一瞬目が合いましたが、彼女の目は光の中で微笑みました。あの瞬間を忘れる事ができません。あの微笑みに私は怖くなりました。何千倍も責任が重くなったと思ったからです。3メートルのトンネルを膝をつき、後方へと這いながら外へ出ました。あのトンネルは私には10キロのように思え、何時間もかかったような気がしました。

赤ちゃんにはまだへその緒が残っていました。男の子かと思い、叫びました。奥の方から母親の声が聞こえました。男の子ではないわ、その子は私の娘よ。アズラよ、と」

よく来たね、赤ちゃん。生きるのは君の番だよ。

不安と喜びが入り混じった気持ちで、トルコ共和国建国記念日を祝おう。

■ビュシュラ・エルサンル教授逮捕について

KCK(クルディスタン社会連合トルコ議会)作戦の手が学者にまで及んだ。ビュシュラ・エルサンル教授が逮捕された。平和民主党・党会議と憲法委員会のメンバーであるビュシュラ氏は「暴力を拒否する」平和的知識人として知られている。エルサンル教授はKCKや平和民主党よりも前にクルド問題の政治的解決を主張する民間の取り組みにかかわっていた。PKKとどういう関係があるというのか、理解に苦しむ。KCKでもやり過ぎた。釈放される事を祈る。

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( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:24404 )