イズニクのアヤソフィア、論争のなかで博物館からモスクへ
2011年11月05日付 Hurriyet 紙


ワクフ総局の、ブルサのイズニク郡(旧名ニカイア、或いはニケーア)にある「アヤソフィア博物館」をモスクにするとの決定をうけ、新しい標札が立てられたモスクでは、犠牲祭の礼拝への準備が整っている。

アナトリア通信の記者が入手した情報によると、イズニクの中心部にあるアタテュルク通りとクルチャスラン通りの交差点に位置するモスクでは外装と内装の準備が完了した。バイラム(犠牲祭)の礼拝に間に合わせるために、しばらくのあいだ集中的に作業が行われたモスクの壁には、ついに「トルコ共和国首相府宗務庁 アヤソフィア・モスク(オルハン・モスク)」と書かれた標札が立てられた。標札からは、1331年にオスマン朝第二代当主オルハンによってこの地が征服されたことがうかがえる。

アヤソフィア博物館をモスクにするとの決定後、アヤソフィア内部の床が改装されて絨毯が敷かれた。また説教壇もあるべき場所に設置され、何年も建物の外に立てられていた「アヤソフィア博物館」と書かれた標札も撤去された。さらに、礼拝が行われる場所に敷かれた絨毯の周囲には柵が設けられ、歴史的骨組みを損なわない形で床暖房のシステムも設置された。

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( 翻訳者:濱田裕樹 )
( 記事ID:24461 )