地震で救出の日本人女性アンカラへ、「またヴァンにいきたい」
2011年11月11日付 Zaman 紙
救出時の映像
救出時の映像

ヴァンで発生したM.5.6の地震で倒壊したバイラム・ホテルの瓦礫の下から救出された日本人で、支援団体ボランティアのミユキ・コンナイ(近内みゆき)さんは、タネル・ユルドゥズ・エネルギー天然資源担当相の指示で、特別機でアンカラに移送された。

アンカラのエセンボア空港では日本の荒木喜代志・在トルコ大使や保健省の担当者らが、近内さんを出迎えた。飛行機から歩いて降りてきた近内さんは、ユルドゥズ大臣やその他の保健相担当者の助けをかりて担架で救急車にのせられた。近内さんの治療は、搬送先のアタテュルク教育研究病院で行われる。

一方、飛行場内でまっていた新聞記者らに説明を行ったユルドゥズ大臣は、近内さんの健康状態について次のようにのべた。

「私は首相の指示により、ベシル・アタライ副首相や保健相とともに、ヴァンにいっていました。彼女たちは、(先の)ヴァン地震で被害にあったトルコの人々を助けるためにやってきていましたが、なんということか、ここで彼女自身が地震の被害者となってしまいました。瓦礫の下にいて助け出された人のうちの1人です。ここへくる途中、少しだけ話すことができましたが、大変お疲れです。」

ユルドゥズ大臣は、近内さんに対し感謝の言葉を述べたとし、「彼女とは、地震が日本とトルコとの関係を非常に具体的に示しているといった話や、救出の様子などについて話しました」と述べた。

ユルドゥズ大臣は、記者の「日本人は、地震の苦しみを一番よく知っている人たちですが・・」という問いの対し、「もちろん、日本人は、その意味で、とても大きな苦しみや苦労を味わっています。(地震には)とても敏感なのだといっていました。近内さんへの治療はここで行われますが、健康状態は良好です」と述べた。

ヴァンでの医療や捜索・救出活動に参加しているチームに感謝の意をのべたユルドゥズ大臣は、全チームが、ヴァンで必死の覚悟で作業にあたっており、そのことにたいへん満足していると述べた。

日本からきていたもう一人の支援ボランティア、アツシ・ミヤザキ(宮崎淳)さんが亡くなったことにも触れたユルドゥズ大臣は、記者の「彼女は、同僚の死を知っていますか」との問いに対し、「もちろん知っています。私が宮崎さんの件に触れると、彼女はたいへん悲しんでいました。一緒に悲しみを分かち合いました」と返答した。

ユルドゥズ大臣は、「近内さんの話のなかで、どういう点が一番印象に残りましたか」との質問に対し、次のように答えた。

「彼女は、『またヴァンに行きます。地震がありましたが、また、もう一回またヴァンに行きます』といいました。こういう言葉には心を動かされます。逃げる気も、遠くに行くつもりもないと言っていました。人生にはこういうこともあると。これには感動しました。地震を、普通のこととして冷静にうけとめたといっていました。」

ユルドゥズ大臣は、今日(10日)、瓦礫から救出された1人の看護婦を訪問したことにも触れ、この人も、被災地で働いたのち、職務を終えて故郷に帰るためのバスのチケットを買おうとしていたときに地震に遭遇したのだと述べた。ユルドゥズ大臣は、これにもたいへん心を動かされたと話し、「神がこのような悲劇からこの国をお守りくださいますように」と述べた。

ユルドゥズ大臣は、ある日本人記者の「日本に向けてメッセージはありますか」という問いに対し、「日本の人にはこうお伝えください。私たちの間の友情や理解、両国の間の橋が、いつもしっかりと結びついていることの表れが、この女性です。日本が同様の危険や災害にあったときに、トルコが常にそばにいることを、トルコもその行動で示しました」と述べた。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
近内さんらの活動を報じた11月6日付ラディカル紙記事
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:24508 )