ヴァンの第二地震で亡くなった記者を殉職者と呼ぶのはやめよう
2011年11月13日付 Milliyet 紙


ドアン通信社(DHA)のジェム・エミル記者とセバハッティン・ユルマズ記者はマグニチュード5.6の地震で亡くなった・・・この程度の地震で何十人もの人々と共に彼らの死を防げなかった者たちは恥じるべきだ。彼らは殉職者ではない、恐ろしい怠惰の犠牲者なのだ。

日曜の記事を書くため机に向かっていると、恐れていた知らせを受け取った。CNNトルコのニュースサービスのメッセージが(携帯)電話の画面に現れるや否や私は悲しみでいっぱいになった。
DHAのジェム・エミル記者とセバハッティン・ユルマズ記者は、ヴァンのがれきの下から救出されたが助からなかった。エルジシュ地震の取材でヴァンにいて、あのいまいましいホテルに滞在していた私の同業者は、悲しいかなマグニチュード5.6の地震で土に埋もれた。
ジェム記者もセバハッティン記者も私の直接の知り合いではない・・・しかしその痛みを感じるのに知り合いであるかどうかは必要ではない。私は何度も訪れた東部・南東部で、地元で働く多くの記者と知り合った。彼らがおかれている状況を多少なりとも知っている・・・
この記事は、地元で働く全ての記者仲間に宛てる。

■記者の「応援部隊」

まず本部からの予算は減り続ける。しかし大昔の事ではない、10年前までは県支局で3~5人の記者が働いていた。
今では広大な一地域から集めても記者は10人もいない。時には3~4つの都市を一人の記者が担当する。しかし「大きな」事件が起こると近隣の県から記者の応援が駆けつける。
ディヤルバクルのDHAで働くジェム氏がヴァンにいた理由がこれである・・・ヴァンの記者の数は限られているので、応援として来ていたのである。おそらく自らの希望であろう。
その上彼らはグループの新聞だけではなく、テレビ局やインターネットサイト用にも常にニュースを更新し、伝えなければならない。みなさんは最新のニュースでそれらを追う事さえできないでしょう。
ここから分かるのは、地元の記者は、記者でもあり、カメラマンでもあり、写真家でもあるという事だ。

■名前すら載らない

南東部で記者をするという事は、「地域」の他のどの場所よりも難しい事である。記者は、棒の両端に重りがついていて、常にバランスを保たなければならない綱渡り芸人に似ている。
ある時は国家の、またある時はテロ組織の圧力の下で働いている。「不適切な」ニュースはとても速いスピードでもたらされうる。
全く予想できない所から裁判を起こされるかもしれないし、警棒で殴られるかもしれないし、逮捕されるかもしれない。
その上何時間も何日間も追っていた記事が、通常自分の名前も載せられずに使われるのだ。
この仕事はその安い給料ではやっていられない。それでも皆この仕事を好きでやっている。それどころかイスタンブルやアンカラの大ベテランたちよりもはるかに熱い情熱で。

■マグニチュード5.6の殺人

あの夜、あのいまいましいホテルにいたジェム氏とセバハッティン氏の事を想う・・・何週間も被災地に滞在して疲れや憂うつを抱えたまま、ホテルに戻るや否やニュースを送る姿を・・・
その後、一日中肩や腰を痛めつける機材の手入れをし、おそらくバッテリーのチャージのために部屋に寄った事を・・・そしてちょっとした揺れに何が起きたか分からないままホテルが段ボールの罠のように自分の身に崩れかかってきた事を。

どうか、「最後に彼らにいい待遇を」といわんばかりに、彼らのことを「殉職者と呼ぶのはやめてもらいたい。ジェム氏とセバハッティン氏は、同じホテルに滞在していた日本人支援ボランティアの医師[注:トルコの新聞では亡くなった宮崎淳さんを医師と報じている]や何十人もの罪のない人々と同様、恐ろしい怠惰の犠牲者なのだ。
もう殉職者は要らない、命の権利、生きる権利を保証してもらいたい!だたそれだけだ!

マグニチュード5.6の殺人で身近な人を失くした人々へ、そして被災地の同業者たちに心からのお悔やみを捧げる。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:24534 )