Fikret Bilaコラム:トルコのおける「罪と罰」―判決前拘留長期化の惨状
2011年12月07日付 Milliyet 紙

バハドゥル・ソイレメズとオズギュル・アルカンの2人は、19歳と20歳の大学生だ…。1972年にクズルデレで殺害されたマヒル・チャヤンとその友人の追悼式に参加し、ポスターを掲げていた…。逮捕され、7ヵ月間刑務所で拘留されている。違法組織のメンバーであるとの罪に問われている。ようやく今日裁判官の前に立つことができるのだ。

ジハン・クルムズギュルは、ガラタサライ大学の学生である…。目撃者の証言(匿名)により逮捕された。

■丸22ヵ月間拘留されている…

証人はジハン・クルムズギュルがポシュ(男性が頭に被る被り物)を被るところを目撃したと言い、これにより秘密組織のメンバーであるとの罪に問われている。

チャール・ユルマズ、ヒクメト・タヌル、ジャン・カヤの3人も大学生である…。彼らは5ヵ月間拘留されている。刑務所にいる友人の髪が切られることに反対し、自分たちの髪を切った。短髪にした写真を刑務所に送りつけたのだ。彼らも「身元を知られないように」髪を切ったと罪に問われている。

この大学生らの行動が有罪となるかどうかは裁判所が決定する。有罪となれば、法で規定されている刑罰を受けることになる。でも実のところ「刑罰」を受けている。5ヵ月間、7ヵ月間、22ヵ月間と刑務所で拘留されているのだから。

■既決囚ではないが、まるで既決囚のようだ…

しかし近代的で遍く実施されている法によれば、裁判所による有罪宣告がなされない限り、個人の自由を拘束するのは人権侵害と見なされる。トルコでは、既決囚となる前に「拘留される」ことで罰を受けている。

拘留とは何なのであろうか?拘留とは、ある措置である。有罪宣告ではないのだ。よって、刑罰となるべきではない。これに対しトルコでは、拘留が刑罰のように適用されている。我々の刑事訴訟法でも拘留なしの裁判が基本であり、未決拘留は例外となっているにも関わらず、実際の適用では正反対となっている状況だ。

刑事訴訟法は拘留期間を2年、さらにこれを3年に延長する権利を与えており、テロ関連の犯罪にはこれの2倍を適用可能としており、拘留期間は10年にのぼっている…。これでは裁判の結果、無罪放免となっても、事前に刑罰を受けたことになる。

■国会議員

これに関し最も議論が交わされている例の一つは、当選したにも関わらず拘留されたままの国会議員だ。国会議員に選ばれても、拘留なしの裁判という結果を生むことはなかった。そしてもちろん、国会議員でない者たちもいるのだ…。エルゲネコンやバルヨズ裁判における新聞記者、学者、退役した将軍、現役の将軍、将校、KCK裁判における首長たち…。何ヶ月も、何年もの間未決拘留されている特別な地位を持たない市民らも存在する。司法システムは、このように動いており、このシステムに公正が期待されているのだ!

■八百長問題

八百長問題でスポーツ関係者らが拘留されたことは、政界と社会の両方に興奮の波を巻き起こした。請求された刑罰は非常に重いとの意見で一致した。各政党はすぐに刑罰を軽減する必要があるとの結論を出し、法を作成した。

アブドゥッラー・ギュル大統領は、新法では罪と罰の均衡が取れていないとの結論を出し、同法律を議会に送り返した。非常に重いとされる現法に基づいた刑罰よりも軽く、非常に軽いとされるギュル大統領が拒否した新法の刑罰よりも重い。つまり、罪と罰の割合の観点から均衡のとれた法律が待たれているのだ。

しかしギュル大統領が新法を拒否したことで、政党はこれに反発した。レジェプ・タイイプ・エルドアン首相を含め与党が初めてギュル大統領と逆の立場を取ることになると分かりながらも、頑なにこの法にこだわった。この感覚は、サッカーに特別なものであるようだ。

しかしまさに「罪と罰」の均衡を探っているのに、拘留が刑罰の状態となるのを防ぐ法的是正を何故か議会は思いつかない。こうなっては、「最初に刑罰を与え、後に裁判」という構造はますます定着してしまうだろう。

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( 翻訳者:釘田遼香 )
( 記事ID:24781 )