社説:南スーダン大統領の危険な選択
2011年12月20日付 al-Quds al-Arabi 紙


■社説:サルバ・キール氏、イスラエルに

2011年12月20日『クドゥス・アラビー』

[南]スーダン共和国のサルバ・キール大統領のイスラエル訪問は突然のことではなく、訪問のタイミングや例を見ないことである、ということについては予測されていた。突然で、予測されていなかったことはこの[イスラエルと南スーダンの]二国間の同盟関係の進展に対し、表向きはアラブ[諸国が]無関心であるという状況である。この関係進展はアラブ民族の平和に直接的な脅威を形成しうるものである。

サルバ・キール大統領はその地域において最も卓越した国で、彼が一時的に頼り、支援を求める思惑のもと、イスラエルを選択した。というのは、彼の考えによれば、「イスラエルは成功のためのモデルであり、代表例である。」また、同大統領はイスラエルと協力し、両国の関係を強化するために手に手を取り合っていくと強調した。

感情を害することはアラブ諸国がスーダン南部の分離運動を支援したことである。アラブ諸国はその運動に資金や武器を提供したのだ。おそらく、アラブ諸国のスタンスや支援は、イスラエルのそれ以上のものであった。ここで、我々はエジプトやリビアのような国家について、そしてまたサウジアラビアについても言っているわけなのであるが。[南]スーダン共和国大統領はこれらのような美しい[国家]に背を向け、イスラエルの方を向いた。これは、マラリア対策というスローガンのもとエリトリア国家を建国したあと、エリトリアのイサイアス・アフェウェルキー大統領が行ったのとまったく同じである。

南部反乱の指導者ジョン・ガラン氏を支援したアラブ諸国は[北部の]スーダンのイスラーム的体制に逆らう形で支援してきた。その理由は、ウマル・アル=バシール・スーダン大統領との[スタンスの]違いである。その違いは、1991年のクウェート解放戦争における、イラク破壊に反対するスタンスが挙げられる。または、AUサミット出席中のフスニー・ムバーラク前エジプト大統領をアジスアベバで暗殺しようとした陰謀の背景に対する立場や、スーダンがアフリカの王の中の王の命令に従うことを拒否した点や、アル=バシール大統領の病的な支配欲などがあげられる。

イスラエルはアラブ全体よりも賢かった。残念ながら、イスラエルは諸処の理由や戦略的な野心から、スーダンを分割するよう行動してきた。戦略的野心はアラブ国家の治安、その中でもエジプトのそれに浸透し、さらにアフリカ大陸への潜入に焦点を当てた。そして、ひと時に、[当該地域の]体制や人民からの信頼を勝ち取った。このイスラエルの努力は、アラブの諸革命後の今、集中しているに違いない。その革命は、当然、イスラエルと関係を持つ最も重要な二国の体制を覆すものであった。その二体制とはチュニジアとエジプトである。

イスラエルのナイル川源流への潜入は継続し、エスカレートしており、エチオピアやウガンダの、そしていまは南スーダンにナイル川の水を引き入れるダム建設計画により支えられている。その計画は、エジプトやスーダンの水の割当量を減らすためのものであり、その割当量は、年860億立方メートルに上る、川の水量のほとんどに相当する。

サルバ・キール大統領は、このような措置によって強烈な一突きを隣人であるアラブ諸国へと向けている。南スーダンはほんの昨日まではその一部であり、この隣国は南スーダンへの援助の一部は停止しなかったのであるが。この援助がどんな理由からであったにせよ、同大統領が20か国以上のアラブ諸国よりもイスラエルを好んだということは、危険な賭けであり、何もないところから国家を築こうとしている極貧の民衆に有益ではない結果をもたらす可能性がある。

イスラエルは南スーダンにアラブ人が与えられなかったものを与えることはできない。いずれにせよ、これは彼の選択であるが、しかし、扇動的でリスキーなものである。

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( 翻訳者:松尾愛 )
( 記事ID:24896 )