アルンチ副首相、「政府は、クルド人の全ての権利を認める」
2011年12月21日付 Radikal 紙

ビュレント・アルンチ副首相は、クルド・アイデンティティが30年前にできたものではないとし、これは「千年来の真実である。これを否定するというのなら、80年前に戻ることになる。それぞれのアイデンティティを我々が承認している人びとには、全ての権利を与えるつもりだ」と語った。

トルコ大国民議会本会議で、2012年中央行政予算法案全体の審議が行われた。アルンチ副首相は、ジェミル・チチェキ議長が議長を務めた本会議で、政府を代表してスピーチをした。今日の予算審議はその進め方も内容も非常に水準が高かったとし、全党の発言者らへ謝辞を述べた。アルンチ副首相は以下のように続けた。

「前もってある程度分かっていました。2003年から今日まで我々の政府の措置により、予算実施の見通しはうまくいっています。今日に至るまで我々は目標に到達してきていると私は考えます。もちろん間違いだってあるでしょう。しかし三期連続して選挙で第一党となっているということは、国民の信頼の証です。国民には他の選択肢もありうるのです。まさにこれが民主主義なのです。国民は47パーセントもの票を(ある政党に)与えることもあれば、7パーセントしか与えないこともあるのです。

経済分野においても社会分野においても、今日の我々の見通しどおりにことが進むことを信じています。
経済的安定と政治的安定はリンクしています。結合体双生児のように。トルコは長年追い求めてきた政治的安定にすでに到達しました。このことが経済的安定をもたらしました。トルコにおいて、政治的安定が獲得されたということは国民の選択によるものなのです。

今日発言してくださった親愛なるハムザチェビ氏、クトゥルアタ氏、シャンドゥル氏の批判からも、我々は何かを得ることができると考えています。我々はしっかりと大地を踏みしめるべきです。24時間、常に注意をしている必要があります。みなさんの批判がこうして我々にとっての光明となるなら、我々は感謝します。惜しみない感謝を。」

アルンチ副首相は、予算審議はトルコ政治の総力を示すとの観点から重要であると述べ、「国会の檀上での皆さんの言動を、国民はすべて覚えています。我々も国民のスタイルに合う、そし国民が満足するような政治を行う義務があります」と言った。また彼は次のようにも語った。

「我々の誰もが生まれたときの無垢さを持ち続けているわけではありません。失敗や間違いから免れることはできないのです。我々は全ての言葉に責任を負っています。我々はこの責任感とともに政治を行っています。この責任感をもって申し上げたいのですが、政治のスタイルもやり方も国民と無関係というわけにはいきません。我々すべてはこの国の子供なのです。7千4百万の国民の信頼を背負っているのです。我々を作り上げているもの、我々の真髄は一つなのです。差異を一つの実体に内包し、溶けこませながら国民となってきたのです。私たちは、共に生きるという経験の浅い国民ではありません。何百年もこの地で互いに権利を守りってきましたし、これからもアッラーのお赦し下さるかぎり守り続けるつもりです。」

■「クルド人は少なくとも千年前から存在している」

国会議員による政府への批判に答えたアルンチ副首相は、民族主義者行動党(MHP)のメフメト・シャンドゥル会派副代表の「クルド・アイデンティティを認めるとは、『うかつ』では済まされない行動だ」との表現を引き合いにだし、「『うかつ』では済まされない行動とは、つまり『誤り』だと言いたいのだろう」と述べ、次のように続けた。

「クルド・アイデンティティを認めることはとても重要な問題です。これは人権の問題なのです。思うに親愛なる我が党首も共和人民党(CHP)の党首もこの件について意見の相違はありません。トルコで暮らす人間が『私はクルド人だ。自分のアイデンティティを誇りに思う。私は自分をクルドとして認識してもらいたい』と言うなら、我々は敬意を示し、これを受け入れるべきなのです。

過去の否定的かつ同化主義的な思想が、このことを阻んでしまっていたのかもしれません。しかし彼らが今日のトルコに何をもたらしたかは、我々は皆よく分かっているはずです。人は自分のアイデンティティに誇りを持っています。親愛なるバイカル氏もクルチダルオール氏も『エスニック・アイデンティティはその人の誇りである』と言っている。この言葉を言うとき、間違いなく「私はクルド人だ、私はアラブ人だ」と言うことと、「私はあれこれのエスニック集団の一員である」と言うことをそれぞれ区別したりはしない。誇りを持つこと、生まれながらにして持つ人権を保持していることを知ることは、我々の義務です。クルド問題あるいはクルド・アイデンティティは、3年前、あるいは30年前、20年前に出現したものではない。クルド人が存在したということは少なくとも千年前からの真実なのである。このことを否定することはできない。これを否定するなら80年前に逆行することになる。80年後に戻らなければならなくなる。

愛なるエルチ氏は、かつて閣僚を務めていたとき、『私はクルド人だ。トルコには、うん万人のクルド人が暮らしている』と言ったが為に2年半年刑務所で過ごしました。我々が当時に戻ることをあなた方はお望みですか?個人のアイデンティティを否定することはその人そのものを否定することなのです。自分自身をクルド人とかアラブ人とかボスニア人とか、ともあれ、すべて誰であろうとこの地で自分のアイデンティティを気軽に言うことができるようになるでしょう。我々はそうしたアイデンティティに敬意を払いまる。そうしたアイデンティティの持つすべての文化的権利を、憲法上の権利を与えなければならないのです。認めなければなりません。」

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( 翻訳者:大嶽真梨子 )
( 記事ID:24899 )