Semih İdizコラム:サルコジに失うものなし―仏のアルメニア人虐殺法案問題
2011年12月21日付 Milliyet 紙

ここでアルメニア問題の人道的側面には触れないでおこう。ジャン・デュンダル氏が昨日、人道的側面から素晴らしいコラムを書いた。なので、ここでは政治的側面をみることにしよう。フランス議会が法案に対し「思考マヒの判断をする」のか、それとも「理性的にふるまう」のか。しかし、見通しは暗い。

フランスはもちろん、この問題での行動により、自分たちも多くの問題に直面することになるだろう。しかし、それがサルコジ大統領を悩ますことはないと思われる。これは、ここで強調したい2つの間違いの一つ目に話が結びつく。

トルコ政府と野党によるサルコジ大統領評価は基本的な間違いを犯している。彼らは、サルコジ大統領が、アルメニア人虐殺を否定したものを罰する法案を支持しているのは「票を狙って」のことだと考えている。これはもちろん、ある程度正しい。しかしサルコジ大統領がより深い理由で動いたと私は思っている。つまり、公然と嫌悪を示してきたトルコに対する彼のミッションから、である。当該の法案をこの理由で支持している。これはおそらくフランスの国益へ打撃を与え得るが、彼には損害はない。

■制裁が有効か、否か

結果としてアルメニア系フランス人の票がサルコジ大統領再選を容易にさせるなら、その時は(この決定は)直接的な利益をもたらすだろう。しかしこの支持にもかかわらず選挙に負けても、トルコへ歴史的な打撃を与えたことを喜びながら、表舞台から退くことができる。

この決定をするにあたっては、トルコの報復の可能性により、世界で最も豊かな国のうちの一つであるだけでなく、ヨーロッパ政治と経済の牽引力であるフランスがうけるであろう打撃も計算し、それを「致し方なし」としたのだ。フランスの産業界の考えはちがっていても、サルコジ大統領がこの決定に固執していることはこれを示している。

「トルコの報復の可能性」とは何か。アンカラ政府から脅迫じみた発言がされているが、政府がフランスへ本当に「痛み」を与えるかどうかはこの段階では定かではない。サルコジ大統領もこれを知っている。というのが、経済というのは、どこかの国に被害を与えようとするえば、自分にもその害は降りかかってくるものだからだ。自動車分野のみをみても、アンカラ政府がこの分野のフランスの会社に対して措置を取ったならば、トルコで何千人もの人の仕事に影響がでると結論をえるのに、経済学者になる必要はない。つまり、アルメニア人虐殺法案が通過したら、アンカラ政府からフランスに対する脅迫が「実効性のある」ものなのか「ない」ものなのかは、まだわからないのだ。
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ここからトルコの二つ目の基本的誤りへ議論を移したい。政府はフランスに反対するキャンペーンで「ヨーロッパの中心で、思想の自由を鎖でしばった」と主張している。これを見たフランス人は必ずフランツ・カフカの作品を連想するだろう。

■カフカの小説のよう・・・

「アルメニア虐殺はない」という人々を罰するフランスの法律は思想の自由に反する。しかし、トルコ政府の発言をきいていると、トルコが思想の自由の観点から「世界に手本を示す国である」でなくてはならなくなる。しかし、事態は明らかだ。

トルコで1915年におきたことについて気に入らない発言をしたハラント・ディンキ氏、オルハン・パムク氏、そしてエリフ・シャファック氏がどのように罰せられたかに関して、パリやその他のヨーロッパの国が忘れているわけがない。アルメニア問題についての発言に、すぐに検察が動きだすことは、トルコの別の側面の真実である。

この状況でフランスを「思想の自由」の分野で非難しようとうことは、カフカの小説にもにたやり方である。トルコの思想の自由についての通信簿が異なればトルコ政府のこのアプローチはもちろん有効だったろう。しかしこの状況で、フランスへこの観点から我々が言えることへの説得力は、残念ながら、ゼロだ。

では、どうしたらいいのだろうか。私の考えでは、デルスィム問題のようにアルメニア問題に対しても、思想の自由の扉を最大限開き、1915年におきたことに、政治的にではなく人道的側面からアプローチしなくてはならない。これは少なくとも、今後のためにも有効だろう。なぜならこの問題を、(アルメニアロビーは)近く、アメリカ議会でも再燃させようとしているからだ。

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( 翻訳者:榎本有紗 )
( 記事ID:24903 )