Derya Sazakコラム: 新年
2012年01月01日付 Milliyet 紙

ウルデレでF-16に爆撃されて命を落とした35人の若者の悲劇が、クルド問題の平和的解決への希望を打ち砕いた。私たちはまるで、ある銀行のCMに出てくる、「新年を迎えたがらない男」のようである!2011年といえばデルスィム、カフラマンマラシュを思い出すが、その年も大きな悲劇、「虐殺」で幕を閉じた。ミッリイェト紙は犠牲者の葬儀に関する記事に、「悲劇のキャラバン」という見出しをつけた。
オルタス村とギュルヤズ村の村人らは犠牲となった若者たちを、涙を流して埋葬した。生き残った若者たちのうち、エンジュ家の一人であるダヴト・エンジュ君(21)は、その夜を以下のように説明している。
「私たちはハフタニンでラバに燃料をのせ、帰り始めた。村に近いところで私たちの親戚が、兵士たちが私たちを探しながら国境の三つの入口を封鎖している、と話した。私たちはしばらく、ちょうど国境のところで待機していた。その時、無人偵察機ヘロンが私たちの上空を飛行しており、銃声がしていた。そしてすぐ後に戦闘機が爆撃してきた。私たちはグループの先頭にいたので、爆撃によって高い場所から谷に転げ落ちた。攻撃を受けないように水に入った。一時間ほど水の中にいて、辺りが静かになると、村人が私たちのところに来ているのが見えた」
葬儀でも明らかだったが、すなわち「PKKの通り道」であると言われる、国境のこの地域は、「鳥もキャラバンも通らない」ような所ではない。村人が「密輸」を行っていることは知られている。国境での動きを「PKKによるもの」とした情報が、だれによって伝えられたかはわかっていない!
首相は、ヘロン機が撮影した4時間の映像について言及した。
国家情報機関は、「情報の出どころは私たちではない」と発表した。また、「バホズ・エルダル・グループの復讐作戦」へ対抗するシナリオも存在する。PKKがラバで越境するという情報は10日前に来ていた。F-16の爆撃で死んだ人たちが、「PKKのメンバーではなかった」ことからすれば、かなりの情報不足であったことがわかる。
もし数時間待って、今や誰もが持っている携帯電話で、警察詰所や村長、村人と話していれば、国境にいた人たちが、50~100リラ(約2000円~4000円)のために命を危険にさらす若者たちであることがわかり、35人の命を奪った悲劇を防ぐことができたはずだ。
平和民主党(BDP)のセラハッティン・デミルタシュ党首が涙を流しながら述べたように、私たちはこのつらさと悲しみを共有しなければならない。 ヴァン地震でそうであったように、このつらさを分かち合わなければならない。
悲しみを表すこと以外に、政府は事件を調査する必要がある。メディアも真実を追求しなければならない。トルコは、クルド問題解決の希望を持って、2011年を迎えていたはずだ。「(国会での)宣誓危機」で始まった「軸のずれ」の結果、私たちは平和的解決からすぐに遠ざかってしまった。
何千人もがKCK裁判で拘留され、知識人が刑務所にいる。
南東アナトリアで血が流されている。
市民が命を落としている。
この失敗、絶望は私たちみんなのものだ。2012年には、トルコ大国民議会が新憲法を制定する。自由で市民的な解決のために、この機会を逃してはならない。「新年を迎えたがらない男」のような気持ちのまま、より多くの血と涙を流さないように、と私たちは訴える。私たちは平和を望んでいる。

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( 翻訳者:菱山湧人 )
( 記事ID:25038 )