ディンク殺人事件裁判に判決、組織犯罪と認定されず
2012年01月17日付 Hurriyet 紙

アゴス紙の編集主幹フラント・ディンク氏殺害に関する裁判で、ヤスィン・ハヤルが刑の加重された終身刑に処される一方、エルハン・トゥンジェルは無罪となった。判決に反発するディンクの妻のラケル・ディンク氏とディンク家の弁護士フェティイェ・チェティン氏は涙をこらえられなかった。

裁判所の判決を受けディンク一家の弁護士フェティイェ・チェティン氏は、裁判所前で会見をし、判決に反発を示した。

■確立した伝統は崩されなかった

殺人事件から5年が過ぎたと話すチェティン氏は、「この5年の中で、アラト・ディンクは何と言ったか覚えているか?『彼らは我々をだました。』といった。しかし、彼らは最大の裏切りを最後に隠していたようだ。それが今日わかった。判決は、フラント・ディンクは、計画的活動によってではなく、3~5人の無礼者によって殺されたのだという。ここに組織は存在しないのだという。我々はこれほどのことを予期していなかった。この判決はどんな意味をもつのか?この判決は、確立した伝統は崩されず、いかなる形でも崩されることが許されないということを意味する。この伝統とは何か?

この伝統とは、国家による政治的殺人の伝統と、国家が国民の一部の疎外し敵としていく伝統である。この伝統は続いている。彼らは今日この判決によってこれをもう一度確認した。政府が、殺人犯、爆破犯、迫害者、暗殺者、虐殺者、放火魔のような形容詞と並んで言及されたり、これらの形容詞と一緒にされることに非常に不快になる人々はいる。しかし、彼ら(注)は、政府をこの形容詞から浄化するためにいかなる尽力もしなかった。彼らは手にしているチャンスをも、手の甲で押しもどした。流血の、苦痛の歴史とこれを作り出した伝統への対峙、浄化、このような新しい殺人へ「二度と決して繰り返さない」と言えること、民主化。それらのために、フラント・ディンク裁判は比類ない機会であった。しかし彼らはこの機会を使わなかった」と述べた。

(訳者注)現エルドアン政権を指している。

■涙をこらえられなかった

「現在の為政者、現在のトップの政治家たちは昨日までは、国家の敵や標的だった。しかし、権力をにぎったいま、かつて彼らに敵対していた伝統と連合を組んだのがわかる。しかしこの連合が一時的であると知った方がいい」と言うチェティン氏は、会見の際、涙をこらえられなかった。チェティン氏は次のように続けた。


「歴史において、我々が知っているように、この伝統はまず一時的な連合相手を飲みこみ、消滅させながら進み続けた。今日ここで、暗殺者たちが裁判にかけられたファイルの第一部が閉じられたが、この裁判は終わっていない。終わったのはコメディーのファイルである。我々にとって、この裁判は新しく始まるのだ。暗闇に隠れようとする本当の犯人、犯人たちは、実際には裸で我々の前に姿を現した。こうしてこの理由でこの裁判は新しく始まる。我々が進む多くの道、我々が使う多くの場がある。これらの全てを大きな決意でもって利用していく。暗闇が捜索され、犯人たちが裁判にかけられることへ、我々が終わったというまでこの裁判は終わらない。」

■ギュルテン・カヤ氏:「法は崩壊した」

アフメト・カヤ氏の妻ギュルテン・カヤ氏は、「この、我々の背後に皆さんが目にしているビルで、今日我々皆が目撃するかたちで、法は崩壊した。このため、この法システムでもって、殺人は単に「盲人が船頭を見た」の詩の文句のようなものとなった。我々が終わったと言うまで、裁判は終わらない。このため、この法システムとともに将来へ歩めない。我々は今から兄弟が撃たれた場所へ向かって行進する」といった。
発言中ラケル・ディンク氏が涙をこらえられなかったのが目にされた。

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( 翻訳者:吉岡春菜 )
( 記事ID:25235 )