ラウフ・デンクタシュ元北キプロス大統領、葬儀盛大に
2012年01月17日付 Hurriyet 紙
生前のデンクタシュ氏
生前のデンクタシュ氏

北キプロス・トルコ共和国ラウフ・デンクタシュ初代大統領の棺は多くの人に最後の旅路を見送られ、埋葬された。デンクタシュ氏の墓には、トルコ、息子のライフ・デンクタシュ氏の墓、中央アジアの諸トルコ共和国、そしてキプロス島のギリシャ人地区にあるハラ・スルタン修道場(テッケ)から土が運ばれた。デンクタシュ氏の棺は兵士たちの肩に担がれて儀礼用車両に乗せられ、北キプロス・トルコ共和国首都・ニコシアにある大統領邸からセリミエ・モスクに運ばれた。(棺をのせた)車と一緒に歩いた何千もの人々が、元大統領の棺をのせた車を拍手で見送った。デンクタシュ氏の棺が運ばれるているとき、ニコシアの空には虹が現れ、葬儀をいっそう感慨深いものにした。

デンクタシュ氏の棺がセリミエ・モスクへ運ばれる途中の道には、「わが首相よ、殉職した兄へ、父へ、祖父へ(天国で)よろしく言ってくれ」「私よりあなたを愛してる人はいない」と壁に書かれたスローガンが目についた。また、道中、あちこちでデンクタシュ大統領の棺にカーネーションが投げられた。

北キプロス・トルコ共和国初代大統領の棺は、セリミエ・モスクでの午後の礼拝のあとに行われた追悼の礼拝の後、ギルネ門へ運ばれた。デンクタシュ氏の棺は、ここで行われた葬儀の後に、埋葬のため「トルコ抵抗機構(TMT)」記念碑のある共和国公園へと運ばれた。

「トロス」のコードネームをもつデンクタシュ氏は、1975年にキプロスのギリシャ人組織EOKA組織に対抗して設立されたTMTのリーダーを、トルコの特殊軍事局によって任命された「ボズクルト」のコードネームをもつルザー・ヴルシュカン大佐とともに務めた。かくして、デンクタシュ氏が果たした「密約」もTMT記念碑の下に埋葬されることになった。

デンクタシュ氏の棺が埋葬された墓には、北キプロス・トルコ共和国デルヴィシュ・エロール現大統領、メフメト・アリ・タラト第2代大統領、(トルコの)ベシル・アタライ副首相、共和人民党ケマル・クルチダルオウル党首、民族主義者行動党デヴレト・バフチェリ党首、トルコのハリル・イブラヒム・アクチャ在ニコシア大使やその他関係者らによってスコップで土がかけられた。

アナトリア通信の報道によると、デンクタシュ氏の墓には、1985年の交通事故で亡くなった息子のライフ・デンクタシュ氏の墓、トルコ各地、(中央アジアの)諸トルコ共和国、そしてキプロスのギリシャ人地区のラルナカ市にあるハラ・スルタン修道場(テッケ)から運ばれた土がかけられた。息子のライフ・デンクタシュ氏の墓から運ばれた土は、ライフ氏の息子、デンクタシュ氏の初孫にあたる外交官のラウフ・デンクタシュ氏により、墓にかけられた。

葬儀にはデンクタシュ氏の家族や北キプロス・トルコ共和国のデルヴィシュ・エロール現大統領、メフメト・アリ・タラト2代目大統領、イルセン・キュチュク首相や官僚ら、トルコからもアブドゥッラー・ギュル大統領、レジェップ・タイイプ・エルドアン首相、ネジュデト・オゼル参謀本部長、トルコ大国民議会ジェミル・チチェキ議長、ベシル・アタライ副首相、ベキル・ボズダア副首相、家族・社会政策ファトマ・シェヒン大臣、エゲメン・バウシュEU交渉担当相、アフメト・ダヴトオール外務大臣、メフメト・シムシェキ財務大臣、イスメト・ユルマズ国防大臣、公正発展党オメル・チェリキ副党首、ヨーロッパ評議会議会代表メヴリュト・チャヴシュオール氏、共和民主党ケマル・クルチダルオール党首、民族主義者行動党デヴレト・バフチェリ党首、共和民主党元党首のデニズ・バイカル氏、ヒクメト・チェティン氏、アルタン・オイメン氏らが参列した。

ニコシアでの葬儀には、さらに何百人もの関係者や(トルコのキプロス侵攻時の首相、故エジェビト元首相の妻)ラフシャン・エジェヴィト氏も含め非常に多くの著名人が参加した。

■ギュル大統領の弔問

ギュル大統領とエルドアン首相は、大統領官邸での葬儀の際ラウフ・デンクタシュ氏の妻、アイドゥン・デンクタシュさんに哀悼の意を述べ、慰問帳にサインをした。
アイドゥン・デンクタシュさんは、ギュル大統領の肩にもたれて涙を流し、ギュル大統領もアイドゥン・デンクタシュさんを抱擁してなぐさめた。
トルコ大国民議会チチェキ議長、エルドアン首相と握手を交わしたアイドゥン・デンクタシュさんは、オヌル・オイメン氏と話している際にも涙を流した。

■「病院にうならせた」

アイドゥン・デンクタシュさんは「彼にとってはいまはじめての休息となりました」と述べ、次のような表現を用いた。「生涯、懸命に戦い、疲れ果てていました。ついに、病に伏すことになりました。それでも、ふたたび闘っていました。彼の心は、キプロス、キプロス・・と。彼が「フリストフヤス!」と(キプロス共和国大統領の)名を叫んだときには病院で、天も地もうなったようでした。」

一方、ギュル大統領とエルドアン首相は埋葬の式典には参加せずトルコへ帰国した。

■共和民主党メンバーは専用機で参加

共和民主党幹部らはニコシアへ専用機で向かい、クルチダルオール党首が代表を務める弔問団には、バイカル氏、オイメン氏、チェティン氏らと数名の議員が顔をそろえた。
葬儀の式典のためにニコシアと会場周辺は厳重な警戒態勢が敷かれた。ニコシアで追悼のために閉鎖された商店や通りにはデンクタシュ氏のポスターが貼られた。

デンクタシュ氏の遺体は昨日、近東大学付属病院で行われた式典の後大統領官邸へ運ばれた。

デンクタシュ氏の死後、キプロスでは「服喪」が宣言され、公共機関や公共施設、すべての公立および私立学校は今日は休校となった。北キプロス・トルコ共和国では金曜日まで追悼のため休日となっている。この期間中は、半旗が掲げられる。

■トルコのモスクでも追悼の呼びかけ

宗教庁の報道担当からの情報によると、宗務庁の指示によりデンクタシュ氏の葬儀に先立ち、(各地に次の)指示を送られた。指示によると、国内の全てのモスクで北キプロス・トルコ共和国初代大統領のために正午の礼拝の前に追悼の呼びかけが行われた。

1月13日金曜日に生涯を終えたラウフ・デンクタシュ氏は、今日行われる式典の後キプロス共和国で埋葬される。デンクタシュ氏の死後、北キプロス・トルコ共和国でもトルコでも半旗が掲げられている。

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( 翻訳者:佐藤悠香 )
( 記事ID:25237 )