ディンク殺人事件裁判、5年間の歩み(2)
2012年01月17日付 Radikal 紙

ディンク氏裁判(2)

2008年7月7日
拘留中の8名を含む計19名が裁かれる、ディンク殺人事件裁判の初の公判が開かれた。審理では、裁判所での被告らと被告側弁護士らの横柄な態度が印象づけられた。

2008年6月27日
イスタンブル地方行政裁判所は、C.ジェラッフ(イスタンブル県警本部長)とB.キョクサル(イスタンブル県警情報部部長補佐)を除いた6名の警官に関する捜査許可が与えられる旨の、県当局が下した2008年3月20日付けの決定に、ディンク遺族側が申し立てた異議を却下した。さらにアフメト・イルハン・ギュレルを含むすべての警官に関して、捜査許可が認められないことが決定となった。この決定で、国内法での解決の道はほぼ閉ざされた。

2008年5月28日
ウール・エルドアン上級曹長はウードゥル県から事情聴取されており、オカン・シムシェキとヴェイセル・シャ-ヒンは殺人が起こる前に殺人についての情報を収集していたことを述べた。

2008年5月27日
ビトリス県から証言を寄せていたギョクハン・アスランは、シムシェキとシャーヒンが、殺人が起きた数日後の会話の中で、自らの部隊の集まりで殺人が起こる前にディンク氏殺害に関しての情報がはいっていたこと、このことを部隊の集まりで司令官に伝えたと話していたことを証言した。

2008年5月15日
軍警察官の供述は裁判の証拠となった。

2008年5月14日
軍警察官の審問から:メティン・ユルドゥズとアリ・オズはディンク氏殺害後、ジョシュクン・イーチに口外しないよう求めた。

2008年5月3日
ヤスィン・ハヤル被告のマクドナルド爆破裁判の有罪判決は最高裁判所によって棄却された。(爆発物製造の罪に基づく処罰は認められた。爆破物を爆破させ、それを用いて器物損壊し、10名の負傷者を出した罪に基づく懲罰は、手続きの点から棄却された)

2008年5月2日
アリ・オズ大佐とメティン・ユルマズ元軍警察諜報担当局大尉は、トルコ大国民議会(TBMM)人権調査委員会における、フラント・ディンク氏殺害捜査のために設立された調査委員会に出席したが発言しなかった。

2008年4月29日
イルファン・オズカン被告は審問で、ウミット・オクスズンが彼に、O.S.(オギュン・サマスト)が友達に「自分がフラント氏を殺害する」と言っていたこと、友達らもオギュンを拍手でもって支持していたと語ったと述べた。

2008年4月28日
ディンク殺害裁判の審理中、ムスタファ・オズトゥルク被告の聴取記録が消去されたことが明らかになった。

2008年4月26日
通話履歴からエルハン・トゥンジェリ被告がヤシン被告の弁護士とヤズジュオウルを会わせようとしていたことが明らかとなった。

2008年4月17日
イスタンブル警察の偽造調査書:「事件前に、トラブゾンからもたらされた通報に基づきハヤルを調べた」と発言していたにもかかわらず、事件後(2007年1月22日)この取り調べがなされたことが監査官によって明らかにされた。調査書は殺害事件後につくられていたらしい。

2008年4月15日
ディンク氏の弁護士は、トラブゾン軍警察官10名に関する捜査はイスタンブル警察により続行されるよう求めた。

2008年4月7日
フラント・ディンク追悼グループはトルコ大国民議会で、彼らの要望を伝えるため記者会見を開いた。

2008年4月6日
3回行われた文民監査官らの調査公式監査調査では、ジェラッフの過失は見つからなかった。トラブゾンからもたらされた情報が記された報告書に署名をしていた6名の警察関係者らにも過失は見つからなかった。しかしながら専門家は「調査を実行しなかった」と判断した。

2008年4月5日
担当裁判官としてマクドナルド裁判において権限がないにもかかわらず、ヤスィンを釈放したシュヴキ・ウルチャム裁判官は、軍警察官らが裁かれる法廷の裁判官として任命された。

2008年4月4日
ディンク氏側の弁護士らは、トルコ刑法(TCK)第83条により(殺人事件への意図的な職務怠慢)軍警察官らに関しての捜査を開始させるためにトラブゾン共和国検察局へ告訴状を提出した。

2008年4月2日
軍人たち(アリ・オズ大佐とその他)はトルコ大国民議会での証言を欠席した。

2008年3月21日
アリ・オズ大佐はビレジク県軍警察連隊司令官の役職を解任され、ブルサ地区司令官へと左遷された。

2008年3月20日
被告の軍警察官らは、「上層部へ情報を報告した」と述べた。トラブゾン県軍警察連隊司令官に、県側はジェラッフとキョクサル以外のイスタンブル県警の警官についての捜査許可を与えることを決定した。

2008年3月14日
トルコ国民大議会は人権調査委員会を終了させ、活動を停止させた。

2008年3月8日
リゼ重罪裁判所は、トラブゾン共和国検察局首席検事が警察官達の職務怠慢を理由とした捜査開始は不必要であると下した決定に対して、ディンク氏側の弁護士らからの異議申し立てを却下した。

2008年3月7日
事前調査を進めた監査官は、イスタンブル県警察の6名の警察官について(アフメト・イルハン・ギュレル、ビュレント・キョクサル、イブラヒム・パラ、シェヴキ・エルディヴェン、ヴォルカン・アルトゥンブラク、バハドゥル・テキンそしてオズジャン・オズカン)、捜査許可が与えられるべきであるが、ジェラッフとビュレント・キョクサルについては捜査許可が与えられる余地はないとの見解を示した。

2008年2月28日
初審理の場を出る際、新聞記者達に向かって暴言態度を行った兵士は処罰され、別の県へと移動になった。首相府監査室から3名の監査官がトラブゾンへ赴き、調査を開始した。

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( 翻訳者:小幡あい )
( 記事ID:25240 )