ディンク殺人事件裁判、5年間の歩み(3)
2012年01月17日付 Radikal 紙

2008年2月25日
裁判所が、サパンという著作の著者たちに関して、審理での守秘義務を犯したとの罪での告訴を認めた。

2008年2月20日
行政主席監察官ジェラフ氏に関する予備調査開始。

2008年2月18日
アタライ内務大臣は、「ディンク氏の殺害動機」の調査のために再度監察官を任命。 (行政監察官2名、警察監察官1名-ジェラフ氏と同じ階級の者)

2008年2月14日
トラブゾン警察職員らに関して捜査不要という判断に対して、ディンク氏の家族がリゼ重罪裁判所へ異議申し立てを行ったが却下された。

2008年2月8日
国会議員及び知識人から成るフラント・ディンク氏関係グループが結成された。

2008年1月22日
ヤスィン・ハヤル氏の父親がイルクハベル紙におこなったインタビューで、トラブゾン警察テロ対策担当課ヤフヤ・オズトゥル課長が「ヤスィン氏はこの後さらによい生活を送るだろう。刑務所から短期間で出所し、私たちは報告書をそれに応じて作成している」という証言が提出された。オカン・シムシェキ下士官とヴェイセル・シャーヒン特別軍曹の「職権乱用」罪に関してトラブゾン第2簡易刑事裁判所で初審が行われた。

2008年1月18日
ヤスィン・ハヤル氏の兄であるオスマン・ハヤル氏の着信履歴は、事件当日彼がイスタンブルにいたことを示している。弁護士達はジェラフ氏(イスタンブル県警本部長)と他の警官らに関してディンク氏の殺害に際しての怠慢、またトラブゾン県警察官アリ・オズに関しても「証拠隠匿及び改ざん、職権乱用及び職務怠慢」によりイスタンブル主席検察局に訴えを起こした。

2008年1月12日
ユゼル・サイマン氏がフラント・ディンク氏の裁判を傍聴した際に、ケリンチシズ氏、ムラト・イナン氏に対し「ならず者」と発言したという訴えにより裁判が始まった。

2008年1月3日
国会調査委員会がディンクの遺族を訪問。

2008年1月3日
法医学報告は、放射線学的調査によりオギュン・サマストの骨年齢が19歳であると述べ、裁判所に(成人として起訴可能との)判断を下すよう要求した。(当時のイスタンブル県知事ムアッメル・)ギュレル氏は議会調査委員会に説明を行い、トラブゾンから送られてきた書類が「重要性の低いもの」であったと述べ、次のように続けた。「国はこのような脅しはしない、するとしたら他のことをする」。(当時のトラブゾン県警本部長ラマザン・)アクユレッキ氏は議会の委員会に於いてこのような(書類の)コード化がなかったと述べた。

2007年12月13日
首相府調査委員会が暗殺に関する広範囲での調査を開始した。

2007年12月1日
トラブゾン軍警察に関する捜査は(2名を除き)必要性がないという決定がヨーロッパ人権裁判所に持ち込まれた。

2007年11月1日
トラブゾン検察はトラブゾンの警察官について起訴不要と決定した。

2007年10月3日
トラブゾン県警察官が殺害計画の阻止を怠ったか否かについて調査不要との判断に、ディンク氏の親族がトラブゾン管区行政裁判所に行った異議申し立てが却下された。

2007年10月1日
フラント・ディンク殺害事件の第2回審理が行われた。

2007年9月29日
サビハ・ギョクチェン(がアルメニア人であるとの)報道の後、(その取材をおこなった)フラント氏を部屋に「招き」警告したエルギュン・ギュンギョル知事がチョルムへ任命されたが、赴任が1年延期されイスタンブルにとどまった。

2007年9月28日
サムスンの喫茶店でオギュン・サムストと写真を撮ったことに関わった警官2人の「職務怠慢」及び「機密漏洩」罪に関する裁判が、サムスン初等刑事裁判所で始まった。

2007年9月7日
イズミル弁護士会が、被告側弁護士フアト・トゥルグット氏に関して規律調査を開始した。

2007年8月21日
予備調査や有識者の報告によると、ジェラフ県警察本部長と(イスタンブル県警情報部部長)アフメト・イルハン・ギュレル(A.I.G)氏が監督の職務を遂行しなかったことが確認されたにも関わらず、A.I.Gについてのみ捜査が許可される必要性があるとの見解が発表された。

2007年8月5日
トラブゾン県警察の警察官らが犯罪阻止の点で、職務を怠ったか否かの確認のために、4483号の公務員ならびに公的職員の裁判に関する法律に則り、トラブゾン県警に勤めるラマザン・アクユレッキ、レシャト・アルタイ、エンギン・ディンチ、ファルク・サル、エルジャン・デミル、オズカン・ムムジュ、ムヒッティン・ゼニット、メフメト・アイハンに関して、監察官によって行われた予備審査の結果、「捜査不可」との判断に至った。

2007年7月11日
ギレスン軍警察地方司令官ドゥルスン・アリ・カラドゥマン氏が殉職者の葬儀の際に読んだ詩に関して「ディンクを侮辱した」という理由で賠償訴訟が行われた。

2007年7月9日
トゥンジャイ・ウズンダルが検察当局へ提出した手紙には「ディンクの筆を国が折った」と書かれていた。

2007年7月2日
フラント・ディンク殺人事件の裁判が始まった。裁判はベシクタシュ第14重罪裁判所で行われ、同裁判では18人の被疑者がいる。

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( 翻訳者:磯辺菜月 )
( 記事ID:25241 )