Ozgur Mumcuコラム:明々白々―ディンク事件に思う
2012年01月19日付 Radikal 紙

(裁判所よ)、そもそも、こんな判決を下すつもりだったのなら、どうして長年、この裁判所で無駄な時間を使わせたのか?

フラント・ディンク氏は脅迫された。話してたこと、書いたことを理由に、まず広場で、そして法廷で裁判リンチを受けた。読み書きを知る誰もが何を意図しているかを簡単に理解できる表現をつかって、最高裁判所は断罪した。トルコ共和国憲法第301条は、あるグループによってスナイパーの鋭利な武器のように使われた。メディアと司法のリンチに、県知事室で表面上隠れて脅迫がなされた。創り上げられたこのリンチと脅迫は2007年1月19日にディンク氏が創立して運営していたアゴス紙の前で殺害されることにつながっていった。

■皆分かっていた

その後判明したことは、フラント・ディンク氏が殺害されることを、ほぼ皆が分かっていたということだ。それにもかかわらず、政府は、EU人権裁判所の前で行った弁護で、ディンク氏の命が危険の下にさらされていたことは知りえなかったとして説明した。警察の報告書では、殺人の可能性について2006年2月以降言及されていたにも関わらず。また、警察のみならず軍警察も、ディンク氏が殺害されることに関し、情報を得ていたことが判明したにも関わらず。先日火曜日に、ディンク氏の裁判で待たれていた決定がなされた:組織の関与なし

ヤスィン・ハヤルが扇動したらしい。オギュン・サマストが撃ったらしい。これが全て。国が好む言葉で要約するとしたら、「忌むべき犯罪であるが、単独犯による事件である」

殺害される前にフラント・ディンク氏に対し、政府の建物において脅した職員たち、ディンク氏が殺害されることに関する事前通報を、官僚組織の中で握りつぶした警察と軍警察、ある場所から命令を受けたかのようにディンク氏を標的とし人々は、この裁判では姿がなかった。審理においても決定段階においても、表面に出てこなかった。

しかし、EU人権裁判所の決定は我々に何を語っているのだろうか。「トルコは、フラント・ディンク氏の生命権を侵犯している」と言っている。なぜか?ディンク氏が殺害されることを知っていながら、あるいは知る必要があったが、必要な対策をとらなかったためである。嘘だろうか?殺害されることは知られていなかったのだろうか?対策はとられたのだろうか?EU人権裁判所は、他に何と言っているだろうか。「イスタンブル警察とトラブゾン警察、トラブゾン軍警察の殺人における役割、あるいは怠慢は捜査されなかった。この国は、やるべきことを実行していない」といっている。

■EU人権裁判所の検証

EU人権裁判所は、他に何と言っているだろうか。裁判所がディンク氏を有罪とした決定は、表現の自由の侵犯だった。ディンク氏が殺害されることを知っていたが、この対策をとっていなかった。殺害された後に、怠慢あるいは意図的な職務怠慢の政府関係者を取り調べていない。全てこれらを、EU人権裁判所はひとつずつ検証している。さらに、法廷で真面目に受け止められることが不可能な弁解を行っている。トルコ共和国に与えられた通知表はこれである。

その後、同じ国の法廷で5年間続いた裁判の後、「ヤスィン・ハヤルが扇動し、オギュン・サマストが殺害した。その他のことは分からない」といって、渦中から抜け出そうとしている。これだけのことは、(事件の)5~6日後に我々ももともと知っていた。この5年間は何を裁いたのだろうか。裁判の調停弁護士は、主弁論で、次のように述べている。

「普段は対立している組織が、フラント・ディンク氏殺害の準備への貢献、実行に際する便宜、そして殺人犯をヒーロー扱いすることに関しみせた一致した態度は、国家職員の間に横たわるもう一つの強い心性が、どれだけ普及し、内在化しているかを示している。」

我々が分かっているのは、この考え方は、未だに広がっていて、内在化されてしまっていることだ。我々は、国家がフラント・ディンク氏を守らなかったこと、殺害された後もやらなければならないことを、ひとつも行っていないことを知っている。ディンク氏の存命中に、裁判所、警察、軍警察、県知事、あらゆるところが、たった一人に対し戦線布告をしていた。ディンク氏が殺害された後にも、闘争仲間は連帯を示していた。EU人権裁判所の決定は明白だ。そして火曜日の裁判所の決定も明白だ。全てが明らかである。

(裁判所よ)、そもそも、こんな判決を下すつもりだったのなら、どうして長年、この裁判所で無駄な時間を使わせたのか?

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( 翻訳者:石川志穂 )
( 記事ID:25266 )