Hasan Cemalコラム:オザルのできなかったことをエルドアンはできるのか
2012年01月22日付 Milliyet紙

1993年に死去したオザル元大統領は80年代、「単独安定政権」を代表する日本モデルに影響されていた。65%のブロック票を自身の政党に集め、公選大統領制への移行を考えていたが、できなかった。50%の票を獲得したエルドアン首相は、今後これができるだろうか?

それは1985年のことだった。私は、当時の首相で祖国党の党首であったトゥルグト・オザルとともに日本を訪問した。訪問の間、オザルが特に政治面で「日本モデル」に影響されたことは、注意を引いた。当時、西欧で「一党による民主主義」と釘を刺されていたこのモデルが、日本にもたらした「権威主義的安定」と急速な経済成長でオザルの心をとらえたといえる。私は1992年に再び日本に行った。しかしその時はデミレル首相とであった。オザルは大統領になっていた。私は東京で、オザルと日本モデルに関する記事を書いた。(サバフ紙、1992年12月4日)

その記事の一部は以下のとおりである。
「オザルの、政権への過度な執着...。政権と権力を単独で運営・行使しようという欲望。唯一無二の人物たろうという関心。超法規的であることと、法規無視とをないまぜにした政治的性格。 これらの手がかりは、オザルの日本への賞賛の中にもみることができる。ある西欧の国の在アンカラ大使が、オザルに関して私に以下のように言った。

『頭は西にあり、心は東にある。』このような政治家が、日本から影響されるのは簡単かもしれない。よく知られ、常に言われることだが、日本人は自身の伝統を守る一方で、同時に西欧の文物をもちいて驚異的な発展を遂げた。

このような日本の権威主義的体制の理解… 労使関係において西欧の現行のものとは大きく異なる秩序… そして一党優位の政治システム。このシステムはなんなのだろうか?

ウォール・ストリート・ジャーナル紙の、1992年11月30日付のアジア版に以下の文があった。『自由民主党が政権をとった1955年以来、日本はまさに一党制の国家となった。そして長所を失い、うぬぼれた自民党は、モダンで民主的な政党というより、非常に封建的な侯国を想起させる。』

1983年に政権をとって以後、オザルは2つの目標を掲げたといえる。
(1)体制…アメリカの大統領制
(2)政党…日本の自民党モデル

ちょうど40年間政権にいる日本自民党の主な特徴は以下のものである。自身の他に野党がない。政権争いは自党内で行われている。

オザルの、80 年代の政治システムへの見方は、以下のように要約できた。トルコではイスラーム派を含め、右派ブロックに65%の票があった。社会民主主義の政党は分裂した状態であり、(民主左派党と社会民主人民党)最大で35%の票があった。(現在の共和人民党はわずか25‐26%)。もしデミレルの正道党が潰れ、イスラーム派と極右の大部分が祖国党に集まれば、オザルに永久で、不断の政権への道が開かれる可能性があった。オザルは、この悲願を1987年の総選挙で達成し、正 道党が潰れた後に憲法を改正し、公選大統領制に移行することを夢見ていた。

このようにして、オザルは大統領府に国父として座る。行政権を手中にし、党は彼の言うことを聞く。法の制定を党を通じてコントロールする。野党も自身の党の中にいるはずだった。」

オザルの夢は打ち砕かれた。それではエルドアンの未来は?
50%の票を獲得したタイイプ・エルドアンは今後、それができるだろうか?オザルができなかったことを。

私がなぜこの記事を書いたかというと・・・。
エルドアンに近い一部の人々の間で時々「日本モデル」が話題になっている、というような情報を耳にしたからである。

Tweet

この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


(翻訳者:菱山湧人)
(記事ID:25301)