Eyup Can コラム:娘を売った父、買った男、それを裁かぬ法廷・・・恥ずべきことはどれか?
2012年02月02日付 Radikal 紙

昨日、DHA通信社アンタルヤ支局の記者であるテスリメ・トスン氏はとても衝撃的なニュースを入手した。

12歳の娘を、息子が働いている建設資材店の店主に5000リラ(約22万円)で売ったというニュースだ。みなさん、聞き間違いではありません。売っただけではない、「売買契約」を行ったのだ。「私は娘を5000リラで売りました。」契約だというので、ご丁寧に署名までされたこの書類は、こうした文章で始まっている。恥じ入るという気持ちはなかったようだ、契約には娘の契約用の写真まで貼り付けてある。「2006年2月12日より」と、めちゃくちゃな手書き文字を書くことも忘れてはいない。記録に残すのだから、日付だって必要だ。

この契約をよく見てください。なぜなら父親とされるオスマン・Yは21世紀でおそらく最も重要な「恥ずべき書類」に慎重に署名したのだから。「2006年2月12日より娘のE・Yをユスフ・Aにひき渡します。代金は貰いました。上記の日付よりユスフ・Aのものになります。父親としてこれを同意しました。署名をしました。オスマン・Y」まだ続く。「お父さんの契約を私も認めます」と娘にも署名させた。血の気がひくようなニュースである。しかし、まだ終わったわけではない。

この恐ろしい買い物には「買い手」について書かれた部分もある。ユスフ・A。4人の子持ち。なにか建設資材を購入したかのような手つきで署名し、彼が5000リラで買ったE.Yと同じ年の小学6年生の娘がいる。
ああ、なんてことだ!
2006年に検察庁でユスフ・Aは事の顛末を、「オスマン・Yは新しい家を購入しました。ある日私の元に来て、娘を売らなければならないと言いました。私も娘を救うため5000リラを渡しました。次の日私は、今後問題が起きないように売買契約を行いました。父親に署名をさせました。彼の娘も署名をしました。私は少女を助けようとしたのです」と、まったくもって普通のことであるかのように説明するほど、ずうずうしいのだ。
助けようとしたんだって。
どうやって?
12歳の少女を父親から引き取った後ケメルのホテルに連れて行って強姦したというのに。

ここまですべてのことが恥ずべきことである。さて、この話の続きは?注意してくださいね、これら全ては2006年におきたのです。
スクールカウンセラーがある日授業で、「心が痛んだ出来事を書いて説明してください」といった。E.Yは泣きながら教室を出ていった。カウンセラーの先生が事情を聞くと、おきたことを一つ一つ話した。この事件はこうして裁判所に移されることになった。しかし、神のみぞ知る、裁判はなぜだか6年もの間「欠格事由」、「管轄外」との理由であちこちたらいまわしにされた。
そしてようやく先日、アンタリヤ第1重罪裁判所がユスフ・Aを逮捕することとなった。さあ誰が恥ずべきものでしょうか?

裁判の書類には、5000リラで娘を売った父親、12歳の少女を親切心で買い取った商店主、売買契約、拘束、強姦といった様々なことがあるにもかかわらず、6年間逮捕されることはなかった。6年間ずっと、娘を売った父親も、買い取った強姦犯も逮捕されなかった。より深刻なことに、6年前父親に売られ強姦されたE.Yはこの事件の後、家族の元にも帰れなかったし、自身を5000リラで買ったユスフ・Aからも逃れられなかった。ユスフ・Aは在宅起訴であったため、E.Yを拘束し続けた。あの小さい少女は今18歳だ。どこにいるのか、先生に出来事を説明した後、彼女になにが起きたのか知る者はいない。さあ、なにが恥ずべきことでしょうか?父親によって売られることですか?訴えたにもかかわらず、彼女を買って強姦した男によって何年間も拘束されることですか?

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( 翻訳者:畔上曜子 )
( 記事ID:25430 )