アルメニア人虐殺否定発言のエゲメン大臣、「スイスで言った、フランスでも言う」
2012年02月16日付 Hurriyet 紙

エゲメン・バウシュEU加盟交渉担当大臣が、私立カスムオール・ジョシュクン高校が主催したキャリアセミナーに講師として参加した。校門で学生たちに迎えられたバウシュ大臣は、その後講演を行った。

バウシュEU加盟交渉担当大臣は、学生たちに向けて行った講演で、トルコのEU加盟から欧州財政危機まで、多岐にわたって話をした。バウシュ大臣は、「今日欧州で起こっている危機の解決策は、実は、トルコが提案したモデルであり、同胞意識や寛容さである。トルコで国民や政府、あらゆる人々が団結することを不快に思う国内外の一部の人たちは、今日我が国を混乱させることができるiと勘違いしている。混乱させることはできない。トルコは、日々より一層強くなり続ける。トルコは国民融和をなし、世界の強国の1つとして、自国の国民のみならず、地域の人々のみならず、人間的な世界に安定をもたらすような国であり続ける。」と話した。

■「司祭に怒って断食を破ったりはしない(他人への怒りで自分が損をすることはしない)。」

トルコのEU加盟についても話したバウシュ大臣は、「EU加盟国の一部の視野が狭い政治家たちは、好きなだけトルコを妨害できると考えればいい。アナトリア地方では、とてもいい諺がある。司祭に怒って断食を破ったりはしない(他人への怒りで自分が損をすることはしない)。太陽は粘土で塗れない(真実を隠すことはできない)。トルコの現実は明白、明快である。どんな力もトルコを止めることはできない。自滅だけは避けよう。」と述べた。さらに、OECDの数値は、トルコが2020年まで欧州で最も経済成長を遂げる国となることを示しているとも述べた。バウシュ大臣は、「2050年以降、トルコは欧州第二の経済大国になる。そもそも、我々を妨害し、EU加盟交渉を決裂させようとする国々の懸念もこれである。トルコの成長にブレーキをかけることができず、自国の経済力がトルコのそれに追い越されることを予想しているため、我々の前に障害物を置こうとしているのだ。しかし、君たちの協力も得ながら、その障害物を一つずつ取り除くことに成功する。」と話した。講演で、若者たちに政治(参加)を奨めるバウシュ大臣は、「というのも、政治は、この国のために自分の手を障害物の下に入れることであり、任務に就くことである。そして、国の発展に知的に、ないしは手間や暇をかけて貢献することである。」と述べた。

■「スイスで言った。フランスでも言う。」

バウシュ大臣は、いわゆるアルメニア人虐殺を否定することを罪とする法律に関する質問にも答えた。バウシュ大臣は、本件に関する発言が原因で、スイスで裁判が開始されることについても話した。バウシュ大臣は、「行く必要がある場所はどこへでも行っている。今後もそうするだろう。私は、訪問国の条件に合わせて自分の意見を変えるような人間ではない。カメレオンではないのだ。私は私だ。誰かが経験した痛みを否定するような人間でもない。しかし、痛みを伴うすべての出来事を虐殺と言うほど視野を狭めるつもりもない。我々がトルコ共和国として保管している資料、情報、公文書では、1915年の出来事で互いに傷つけあったものの、これは虐殺と定義され得るものではないことを明らかにしている。しかし、国内で予定されている選挙に利用するために、視野の狭い政治家たちが微々たる票を集めるからと言って(行う)一方的な法の施行をトルコは認めない。」と述べた。バウシュ大臣は、「私はスイスで言った。フランスでも言う。世界中どこでも言う。我々の資料や情報によると、虐殺はなかった。逆に、彼らが(虐殺を)証明するのなら、話し合いをしよう。スイスではこのことを話すのは違法だから話せないと言う人たちがいる。私はスイスの銀行に口座はない、預金がある人たちが考えればいい。行くべきでないのなら、行かない。しかし、行くのであれば、また話す。私は、あの国で政治家が微々たる票を獲得しようとして行ったことのために自分の考えを変えることはできない。私にこのようなことを期待しないでほしい。」と述べた。バウシュ大臣は、これほどまでに断言できる背景には、エルドアン首相の存在があると述べ、「私のバックに扉のようにどっしりと構えている首相と仕事をしていることがあるから、今日このように話している。」と述べた。

■「誰もアタテュルクや国旗や本を登録することは許されない。」

ムスタファ・ケマル・アタテュルクが、今まで様々な語られ方をしてきたと指摘するバウシュ大臣は、「私が子供の頃は、アタテュルクが7歳の頃に叔父と一緒にカラスを追いかけていたことを覚えさせられた。しかし、アタテュルクが、1920年代に国民議会で行った演説で『皆さん、バルカン同盟を築かなければならない。トルコは、その中心となるべきだ。そして、時とともにこの同盟は欧州連合に変化していくべきだ。そうでなければ、欧州の大陸で平和を維持することはできない。』と述べたこは教えてもらわなかった。あるいは、1930年代に、アタテュルクが、『ソビエト連邦はいつか必ず崩壊する。あそこで、我々と同じ宗教、言語、同じ価値観を共有している仲間たちがいる。彼らと、文化的な架け橋を築く必要がある。』と述べたことは教えられなかった。アタテュルクのその遺言を実行した人は、そこへ行って、学校を設立した人たちである。誰も今日、アタテュルクや国旗や本を自分の専売品とすることは許されない。それらは、我々の共通の価値である。」と話した。

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( 翻訳者:田辺朋子 )
( 記事ID:25581 )