ホジャル虐殺非難タクスィム集会、右派民族主義の独壇場
2012年02月27日付 Radikal 紙


ホジャル虐殺非難集会は、アルメニア人排斥デモに変わった。タクスィム広場は「ボズクルト(灰色の狼、トルコ民族主義者の意)はここにいる、フラントはどこだ?」のスローガンで唸った。

ホジャル郡の虐殺事件から20年を悼み、追悼集会が昨日タクスィム広場で実現した。何日も前から広告掲示板や地下鉄の各駅で「アルメニア人の嘘」というふれこみで告知されており、集会では「アルメニアはなくなってしまえ」、「歯には歯を、血には血を、復讐しよう」、「ボズクルトはここにいる、フラントはどこだ?」、「お前達はアルメニア人だ、皆ろくでなしだ」などのスローガンが飛び交った。
集会にはイドリス・ナイム・シャーヒン内務大臣とイスタンブル県のヒュセイン・アヴニ・ムトゥル知事も参加し、機動部隊が、ギリシャとフランスの領事館前とアゴス新聞社に通じる通りで厳重な警戒体制をとった。何千もの参加者が「北と南はひとつに、アルメニアはなくなってしまえ」、「我々はカラバフの義勇兵だ」、「歯には歯を、血には血を、復讐しよう」、「殉職者は死なない、国土は分裂しない」、「ボズクルトはここだ、フラントはどこだ?」といった憎悪のスローガンを叫び、「神は偉大なり」と声を張り上げる者もいた。
民族主義者トルコ党は、イェニチェリ楽団と共に「お前達は侵略者だ、殺人者だ、お前たちは皆アルメニア人だ(訳注:「我々は皆アルメニア人だ」というアルメニア人擁護のスローガンに対して)」、「今日はタクスィム、明日はエレバン(訳注:アルメニア共和国の首都)、一晩ですぐに行ける」と書いたポスターを持って歩いた。「アゼルバイジャン対話と友好協会」と書かれたプラカードが掲げられ、トルコ実業家協会、イスタンブル大学アセナ、トルコ公務員労働組合同盟(KAMU-SEN)、ギョククルト、労働組合連盟もこれに参加した。

■シャーヒン大臣「責任を問う」

シャーヒン内務大臣は集会での演説で、トルコ国民は地上における平和と愛、そして人間の価値の唯一の保険であると述べた。シャーヒン大臣は、「トルコ国民として、世界のいかなる場所においても、人類愛の名に恥じるような歴史や過去はない」と述べ、ホジャル事件について次のように続けた。
「20年前の今日、血をすするもの、殺人者、残酷な者たち、無慈悲な人々、小心者、臆病者がホジャル郡で613人の血をすすった。あの日からこれまでに復讐がなされてきたし、これからも続くだろう。あの血はあの日に流されたものであるが、その清算はまだ終わっていない。トルコ国民がいる限り、あの血の清算がなされ、正義と司法に問い質されるだろう。権利と正義を信じる者すべてが、この闘いにおいて我々と共にある。今世紀は正義、人間的価値、そして法律が優位に立つ世紀となるだろう。全トルコ国民が、この価値を追い求めていく。」

■「深層国家組織のよう」

人民の声党メフメト・ベキャルオール副党首は以下のように述べた。
「気の滅入る集会だ…。誰が組織したのか分からない。多くの集団が前に出て激しいスローガンを叫んでいる。私たちは虐殺が忘れられないようにと集会に行った。虐殺を行った者たちを勿論非難する。しかし、敵意を増長させてはならない。こうした振舞いは虐殺非難の精神を壊している。2015年に向けたアルメニア人虐殺問題の解決(トルコ側の謝罪)に対する返答、あるいは国家の深層組織がコントロールする集会という雰囲気を感じた。『理想主義者はここだ、裏切り者はどこだ?』というスローガンには不愉快な気分になった。このため私は集会を去った。」

■「民族主義と人種主義との直面」

オルハン・ケマル・ジェンギズは次の様に話した。
「ファシストは虐殺の痛みを人質に取った。世界中の民族主義者が使う手段だ。虐殺の利用法はこれである。この種のデモでは、被害者のために心を痛めるよりも、加害者に対する憎悪が吐き出される。アルメニアでもギリシャでも民族主義者は同じことをする。ホジャルの虐殺を非難する者達のこの光景は、恐らく我々が再び民族主義と人種主義に直面し、問題を清算するためのきっかけとなるべきだ。どういう形であっても、虐殺や苦難が競われることが論旨となってはならない。我々は1915年に殺されたアルメニア人の兄弟のためにも、1992年に殺害されたアゼリー人の兄弟のためにも、同じ悲しみを味わっている。彼らを殺害した者を同じように非難する。このようにあってこそ価値のあるものだ。そうでなければ、このデモはただ新たな憎しみや虐殺を植え付ける以外に何の益もない。

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( 翻訳者:百合野愛 )
( 記事ID:25697 )