Mehmet Ali Birand コラム:この裁判でスポーツにおける古い体制は裁かれる
2012年02月16日付 Hurriyet 紙

この裁判で裁かれるのはスポーツにおける古い体制だ。八百長問題はあたかも単にフェネルバフチェ会長アジズ・ユルドゥルムの裁判であるかのごとく認識されている。おそらく気づいていないだろうが、トルコサッカーを統べる全ての会長たちが審理されることになるのだ。世論は、数百ページにおよぶ会話テープの内容から、会長たちがサッカー界に何をもたらし、何を失わせたかを理解するだろう。

八百長問題と呼ばれてはいるが、メディアをみていると、シリヴリ法廷で裁かれるのは、あたかもアジズ・ユルドゥルム氏だけであるかのようである。しかしこの裁判は、単にフェネルバフチェ会長が関わる罪だけを裁くのでは無い。おそらく気づいていないだろうが、この裁判はサッカークラブのトップである全ての会長たちが裁かれることになるのだ。
この裁判は、世論によって行われるものだ。はっきり言えば、古い体制が裁かれることになるだろう。
サッカークラブを操る人たちの間の関係、会話、問題への対処法は世論によって徹底的に検証される。(文字に起こすと)数百ページにおよぶ録音テープは誰もが読むことができ、会長たちが自分たちの間でかわした、非常に「お気軽」な会話についても判断を下すことになる。
サッカー界がどれだか間違った人々に牛耳られているかが、非常にはっきりとした形で表面化するだろう。
この体制は崩壊する可能性が高いだろう。

■アジズ・ユルドゥルムの正しい言い分

アジズ・ユルドゥルム氏は先日行った予備審問にて、非常に重要ないくつかの点を指摘した。
これらの中で最も重要なことは、8カ月もの間、審査開始をまたされ、そして起訴状発表前に全ての容疑がメディアにリークされていることである。
ユルドゥルムは、裁判が壊疽の起こり始めた傷のようだと指摘した。
数か月、いや一部の人の場合数年の間拘束状態とメディア・リンチが続くのだ。これよりより大きな受難や不当な扱いはありえるのか?
何も知らないまま8カ月拘束されるのみならず、さらに裁判される前にその容疑がメディアへリークされたなら、これは、世論の前で、死刑宣告を受けているのを意味する。ユルドゥルム氏もまた裁判官の前に立つまえにこてんぱんに叩かれた。
アジズ・ユルドゥルム氏は私から見ると、フェネルバフチェクラブへ多くのものをもたらした会長である。起訴状に彼がどう答えるかにも強い関心をもっている。疑いを晴らして出てくるのを望む人々の間に私はいる。
フェネルバフチェに(こうした容疑は)ふさわしくない。

■アイドゥンラルからの忠告

サッカー連盟前会長メフメト・アリ・アイドゥンラル氏が先週の木曜日の番組「32.GÜN(32日目)」で発言した内容についてまだ議論されている。今季行われた対話の中で一番反響があった。記録を破ったとも言えるくらい。これは(司会者である)私の巧さが原因ではない。したがって、アイドゥンラル氏の発言がこれだけ興味をもたれ、関心を生み出したのだ。

この対談で私が一番注目した点は、アイドゥンラル氏がフェネルバフチェ運営委員会とサポーターについて語ったこと、そしてその忠告である。
アイドゥンラル氏は、フェネルバフチェ運営委員会がサポーターを利用していることとその危険性について言及した。裁判期間中シリヴリ刑務所にサポーターを集結させたり試合中に(ユルドゥルム氏を)応援することはクラブに害をもたらすとのべた。

アイドゥンラル氏はクラブではなく、繰り返しフェネルバフチェ運営委員会を非難し、こうした過激な対応が、フェネルバフチェへ高い代償を払わせるだろうと発言した。その言い方の深刻さたるや、将来自分がフェネルバフチェの会長に立候補するかもしれないと示唆するほどだった。

裁判は昨日開廷された。どのくらいの期間になるか分からない。

皆が冷静であるべきである。フェネルバフチェだけでなく、他のクラブのサポーター達、特にガラタサライサポーターの冷静な態度、スタンドでの衝突を避ける必要がある。

■ハカン・フィダンのように、バシュブーも保護されるべき

国家諜報機構事務次官ハカン・フィダン氏に関するすべての捜査(特別権限を持つ検事等による捜査を含む)には、首相からの許可が必要とる法律が制定された。
正当なことである。
このように重要な組織のトップの人物への捜査を行うか行わないかは首相が関わる必要がある。
そして、ハカン・フィダン氏と同じくらい参謀指令本部元総長バシュブー氏もセンシティブな職務に就いていた。
バシュブー氏への捜査についても首相の許可が必要となるべきである。

法務大臣がタハ・アクヨル氏に語ったように新しく制定される法律の適用にはフィダン氏だけではなく、参謀総長や軍司令官も含めることが必要である。
私が言いたいのは、これは、国家というものにどう接するか、という問題だということである。

国家は、ある組織のトップにある人物を置き、そして彼らが何か重要な職務を遂行することを要求する。要求された職務のほとんどが、非常に危険を伴っているにもかかわらず、実現させている。国家そして政府の首脳はこれらの人々と共に働いている。
そして?
あとになってで司法が「いいえ、行ったことは間違いだった」と言いその人物たちを法廷へ引き渡しかねない。
この可能性から、国家や政府がこの人物を放置できないし、また放置してはならない。
私が注意を喚起したかった点はこのことである。

■まじめな検事

話題の中心にはサデレッティン・サルカヤ検事がいる。法曹界全体をみわしても、極めてまじめな人材である。法の適応に非常に慎重である。政治的な嗜好で動かない程には職業に忠実な人である。

とりわけメディアへの情報漏洩の問題で過敏で、これまでに、一度も問題なったことがないと言われている。
裁判官・検察官高等委員会がサルカヤ氏に関する調査を始めようとしているのも「他者へのみせしめ」であると解釈されている。結果的に何も(サルカヤ調査から)でないことが分かっていても、一種の微調整として行われるのである。

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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:25718 )