スルタン・アブデュルメジドのアイルランド支援は「事実」?
2012年03月10日付 Zaman 紙


アイルランドのメアリー・マッカリース(前)大統領は、スルタン・アブデュルメジドが同国に飢饉のため行った支援は伝説であったと結論付けたが、オスマンの文書館の文献はこの主張を否定している。歴史学者のハルン・トゥンジェル氏は、アイルランドの有力者らによって1847年にスルタン・アブデュルメジドに書かれた感謝状が、支援があったことを示しているとしている。

オスマン帝国の第31代スルタン、アブデュルメジドが飢饉のためアイルランド国民に行った物質的・精神的支援は、アイルランドのメアリー・マッカリース(前)大統領によって「伝説」であるとされた。しかしオスマン文書館に所蔵されている資料によるとアイルランドの有力者らは1847年にアブデュルメジドに感謝状を記している。この手紙について調査をしているイェディクタ誌の執筆者のひとりである歴史家のハルン・トゥンジェル氏は、アイルランドメディアがこの支援を認めないことは理解できると述べている。トゥンジェル氏は20世紀初頭にアイルランドの国立図書館が焼失したことに言及し、アイルランド人は資料を持っていないと述べている。トゥンジェル氏は、感謝状から有益な情報が得られると述べ、「我々の持つ感謝状のコピーは、スルタン・アブデュルメジドが飢饉の犠牲となったアイルランド国民に物資と資金の援助を行ったことを示している」と述べた。

スルタン・アブデュルメジドが飢饉に際して行った支援は議論の的となった。一部の歴史家たちは「オスマン帝国が川を通る船で支援を行ったとされているが、当時川は干上がっていた」という主張をする一方、一部はアブデュルメジドの命令によってオスマン海軍がボイン川を使ってドラハダに支援を届けたことしている。さらにこの日以降ドラハダの町の公的なシンボルとして月と星が使われるようになったと説明している。町のサッカー・チームのロゴでも月と星が使われている。しかし以前アイリッシュ・デイリー・メール紙もオスマン帝国がアイルランドに支援を行ったことはないと主張していた。記事では、月と星はオスマン帝国の支援によるものではなく、過去の最初の十字軍の遠征までさかのぼると説明した。同紙は、川を通って支援が行われたとする主張も「当時ボイン川に橋の建設が計画されていた。人々は橋を円滑に建設するため水の流れを止め、川は1855年まで干上がっていた」と述べて否定した。

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( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:25779 )