Derya Sazakコラム:ノールーズの日、告訴でなく、釈放を
2012年03月20日付 Milliyet 紙

クルド労働者党(PKK)の「都市部組織」とされているクルディスタン社会連合(KCK)裁判の起訴状において、教授のビュシュラ・エルサンルに「組織を指導」したとして懲役15年、出版業者のラグプ・ザラコルに「組織を支援」したとして懲役10年がそれぞれ求刑された。
この裁判の被告は193名におよび、起訴状は2400ページにわたる。
トルコにおける政治裁判のリストに、また一つ新たなものが加えられようとしている。
裁判は、第3次司法改革案によって「組織犯罪」のかどで拘留中の容疑者の釈放が期待できる展開となった途端に始められる!
「ここはトルコ」と言わしめる最新の例が、ビュシュラ・エルサンルとラグプ・ザラコルへの「組織犯罪」非難である。
クルド問題において、民主的解決の道が開けるという時に、非暴力の知識人たちがKCK裁判で裁かれている。
3年の間に何が変化したのか?
首相の命令でオスロでPKK幹部らと「交渉した」国家諜報機構(MİT)事務次官ハカン・フィダンですら、捕まるギリギリのところだったのだ!
事務次官を検察官の証人喚問から救うため、公正発展党(AKP)は国会で特例法を出さねばならなくなった。
しかし(クルド問題の)「民主的解決」策は政府の政策の一環として始められたのであった。
当時の内務大臣ベシル・アタライは、学術界とメディアの支持を得るために一連の会談を行った。
大統領と首相が、PKKの非武装化プロセスは、「素晴らしいものになる」旨の発言したのだ。
世論はクルド問題の民主的解決を信じ、市民団体の支持を獲得した。
(イラクにつながる)ハブル国境門までのプロセスは問題なく動いた。
だが最近になって「宗教教団と政権の衝突」に関連付けられたKCK捜査で振り出しに戻った。
東南部の社会民主党(DTP)幹部、市長、(2011年)6月12日選挙の議員当選者などを含んだKCK捜査によって政府の「民主的解決」策は陰に隠れた。2009年秋、PKK系のグループの武器放棄に対しハブル地方裁判所は、当時の民主的な雰囲気に沿った判決を下し、(国境を渡ってやってきた)被告は釈放された。その後、彼らも集められた!
ディヤルバクルで行われている本裁判は延びるだけ延びた。規模も大きくなり、6千から7千人の被告がいると言われている。法廷の「クルド語による弁論」論争を除いてKCK裁判の動きを私たちは知らない。
エルサンル教授やザラコルが出廷する193名の被告を抱える新裁判の経過が過熱しそうだ。
法務省は、テロ対策法、刑事訴訟法、トルコ刑法の改正を含む「改革」法案をトルコ大国民議会(TBMM)での成立に向けて準備している。「組織犯罪」に関連する犯罪への刑罰は軽減される。加えて、「犯罪組織の構成員ではないものの組織の名で罪を犯した者」という定義は適法ではないという議論の文脈でトルコ刑法第220条の修正が行われる見込みである。
これらの刑罰の量刑という点において法律家らの意見は一致しており、「犯罪組織を支援することは2次的な行為である。これをもって組織の構成員と看做すことは公正さを欠く恐れがある」との見解を示している。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:池永大駿 )
( 記事ID:25865 )