Aslı Aydıntaşbaşコラム:アフメト・チュルクをなぐったのは誰か?
2012年03月22日付 Milliyet 紙

トルコでは2006年以来、ノールーズに事件は起こらなかった。なぜ事件が起こらなかったかというと2006年から今年まで、ノールーズで事件がおこらないよう「国家」といわれるメカニズムが、PKK(クルド労働党; 非合法組織)へ、秘密裏に勧告していたからだ。

PKKも、とにかくノールーズの期間に緊張を高めないことを約束した。このおかげで平和民主党(BDP)党員(と民主市民党(DTP)党員)は思い通りに、広場で集会を行っていた。 郡知事、軍警察の司令官らと手を取り合って(ノールーズの儀式として)火を飛び越える際に写真を撮った。ノールーズは問題なく過ぎていた。夜になると、皆幸せに家へと三々五々帰っていった。 そう、今年までは。

今年、政府は、ノールーズが大きな問題をもたらすものとなることを懸念し、日曜日に祝祭行事をするのを取りやめ、大きな混乱を引き起こした。その後、昨日ジュディ山で5人の特別機動隊員が犠牲になったというニュースが流れた。

あなたはきっと「その時も今も、トルコを司っていた人は同じ人物(=エルドアン首相)である」と言うだろう。確かに人は同じでも「国家」が変わったのだ。国家に何が起こり、 誰にどのような目論みがあるのかはもはや明らかでないのだ。地雷地帯である。国内では異なる勢力間で匿名のせめぎ合いがある。策略につぐ策略がある。 国外では地域勢力の目論みとPKK内の勢力バランスが…。

私が気にかけるのは「国家」といわれるメカニズムが「実力行使」(を用いる)心性に傾いたことではない。私を本当に不安にするのは、(国家を)統括する人物がいないことである。従来クルド問題に関し、国家の中に「自信」が存在していた。今ではしまりなくふらついている。政府もセットされた時計のように、いつも予想通りの反応を示している。

タイイプ・エルドアン首相は昨日、グループ会合でノールーズでは広場(での集会)がBDP党員には禁止されていたと主張する際に、「あなた方が知っていることを我々がしらないとでも思っているのですか?(この情報のせいで)否応なく、より慎重な行動をとることになりました。テロリストのリーダーのうちの一人の「トルコを血の海にする」という声明を聞かなかったのですか?あなた達に耳はありますか、何も聞こえないのですか?」と述べた。

もちろん、首相へ多くの情報が伝わったのは確かだろう。実際、数日間、一部新聞は警察情報をもとにノールーズで「挑発」の準備が整うだろうとのニュースを伝えていた。そして、また思うに、この報告はかたきのように「あぁ、クルド人はアラブの春を起こそうとするだろう!あぁ気をつけろ、ノールーズで大規模に集結するだろう」と言って怖がらたことだろう。そして毎回予想通りの反応を示す政府はこの恐怖からノールーズでの集会を禁止したようなのだ。

しかしながら俯瞰して見ると状況はかなり異なる。実際のところ、クルド人の側では「クルドの春」ではなく、交渉の意思があった。だからクルディスタン社会連合(KCK)の捜査で何千人もが逮捕されても、本格的な抗議行動は起きなかった。普通の政治声明を発したほか激しい活動は行われなかった。BDPも激しい声明にも関わらず人々を抗議行動へ繰り出させはしなかった。これらに何も意味はないのだろうか?

ありていに言えば、冬が雪がちで厳しい悪天候とともに過ぎ去ったため、春には政治は穏やかになるかもしれないのだ。政府にその意思があれば、統制を手にして新しいロードマップを決定するはずだ。(そうして)クルド問題は終結できる。

しかしながらプロセスが長引き、優柔不断のままでいれば、悪魔が介入を始めてしまう…。

一体、国会議員の乗ったバスの窓ガラスを割りその中にガス弾を投げ入れて、アフメト・チュルクを誰が殴ったのか?

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( 翻訳者:堀谷加佳留 )
( 記事ID:25885 )