Abbas Güçlüコラム:もう十分、めちゃくちゃ―教育改革の混迷
2012年03月28日付 Milliyet 紙

トルコでは数ヶ月にわたって教育が議論されている。国民的祝日(における祝典の縮小)に始まり、私服登校、タブレット端末配布計画、そして今は4+4+4制、学力試験と塾。教員たちの悩みの種を蒸し返したいわけではない。彼らはすでに疲弊しているのだから。
混乱は今、生徒と保護者にまわってきた。学力試験と塾の問題で頭が混乱しているので、自分たちが今後どうすればよいのか分からない状態である。彼らがすぐに答えを出してもらいたいと思っている問題は次のものである。
・ (こどもたちに)試験勉強を続けさせるべきか、否か?
・ 来年度(の試験)に向けて塾に入塾してお金を払い込むべきか、否か?
もしだれかがこれらの懸案に回答を提示してくれれば生徒も保護者も大変安心するだろう。
いや、もし来年度についてこうした状況が問題になっていないとしたら、試験の直前に頭がこんなにも混乱することはなかったのでは。

■ 保護者たちの不満

数百万人もの保護者が現在どのような精神状態にあるのか理解するのに、ほぼ毎日、彼らからくる数百通のメールのうちたった1通に目を通すだけで十分である。
「現在、8年生のクラスに通う息子は、学力判定試験(SBS)に向けて準備をしている。息子たちは不利。3年分のSBSの山に取り組んでいる。彼らは、小テストや試験という言葉さえ聞きたがらない。
今、再び教育制度の変更が言われている。
私たちはこの制度にどれだけ影響を受けることになるのか?
私たちのこどもたちはまた実験台になるのではないかと、私たちは不安に感じている。
10年間同じ政党が与党となっているが、大臣が変わる度に異なる教育制度が導入されてきた。以前は、少なくとも政権政党が変わったときだけ教育制度が変更された。今は大臣が変わる度に新しい制度が試されている!
いかなる教育機関が、いかなる教師が、親が、そしてカウンセラーが、子供たちをこれほど幼いうちに、正しく導くことができるというのか。昨今、多大な苦労をして弁護士や医者になった人々でさえ、この仕事は自分には合っていないと言って仕事を辞めることがある。すべての学校で均等な教育レベルを確保できうるのか?
人数の多い教室では、教員たちはどういった子供たちのために正しい判断を下しうるのか?ほかにも、私が未だ答えが見つけられない疑問が複数ある。イスタンブル高校やガラタサライ高校(のような名門高校)はどのように学生を受け入れることになるのか?こうした学校の評判さえも、新教育制度の過程で被害を受けることになるだろう。私たちは、現在、SBSのまっただ中にいることで多くの痛みを経験している。
この5年間、SBS実施のために保護者たちは戸惑っており、ある年は実施され、その他は実施されない。試験もなければ点数も与えられない!唯一の試験であったのが、3年間(試験なく)過ぎしてしまった、外国人学校の試験を別にし、廃止せずにそれを一つにまとめた。このため、学校を選ぶ際に私たちはとても困惑している。新しい制度を知る人ほど、落ち着くところに落ち着いている。私たちのこどもたちは取り残されている。
2年前、定員数に満たず、その枠に誰かが入った。私たちが知らないことをだれかが知っている、インチキだ。
なされた不正を、どうにかしてわからないようにしている。未来を憂いているが、たんに傍観者にしかなれないことはとても残念だ」

■ 透明性はなぜ重要か!

どのような分野であれ、(制度の)変更をするのであればすればよい。ただ前提条件として透明性と必要性が重要となる。つまり、新たに導入された制度の必要性について、生徒、教員、保護者を納得させることができないのなら、その制度は今後生き残ることはない。同様に、すべてを皆の目の前でではなく、閉ざされたドアの向こうで実現させようとすれば、また信頼性の問題が生じる。
たとえば、アナドル高校などへの入学について、今後やりたいようにやればいい。ただし、入学するに最もふさわしいものが本当に「彼」なのか、誰にも信じさせることはできない。なぜなら、絶えず制度に踊らされており、数千もの定員に満たない枠の説明がなされていないからだ。
説明が行われないため、「尾ひれ」がついて都市伝説が作られるのだ。この罪は保護者にではなく、この制度を透明化してこなかった人々や、ほぼ毎年繰り返される同じ過ちについて傍観者となってきた人たちである。

■ 今後はどうなるのか?

教育は、今まで、あるいは今でも、長い期間政治の道具にされてきた。与党や野党によって早急にこうしたことはやめられるべきである。私たちは教育組織を分割してこなかったし、生徒と保護者は取り残されてしまった。今、彼らをキャンプに隔離しては(取り残しては)いけない。そうしたことはだれにとっても利益とならないからだ。
緊急の項目として採択された決定がその後生き残らなかったことも、今日までに1000回も見てきた。また、公正発展党(AKP)あるいは他の政党が4年の任期で与党として選ばれているが、このため、今後40年に影響を及ぼすような決定が行われる際には、他の政党だけでなく世論の支持が得られなければならず、それによって今後も継続させることができる。
昨日犯された過ちが今日も同じように行われるということが当然とは思わせてはいけない。
要は、AKPは教育問題について混乱している。実に混迷を極めている。大変重要な計画について承認したのであるから大いなる称賛の声があってしかるべきなのに、批判の矛先が向けられているのもこのためである。自己批判をする時がやってきた、今まさに。

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( 翻訳者:萩原絵理香 )
( 記事ID:25933 )