Ahmet Inselコラム:「2.28過程」捜査から左派を考える
2012年04月17日付 Radikal 紙

80年クーデターには左派全体で容赦なく対抗した。しかし「2月28日過程」で左派の多くが拱手傍観していたのは、おそらく反抗の矛先が自分達に向いていなかったからであろう。

「2月28日過程」での軍部介入に関する捜査が開始された。民主化に身を投ずる誰もが片時も立ち止まることなく支持すべきこの捜査では、西方研究会というトルコ国軍内部で組織された軍事政権の類のグループが対象となっている。この捜査では、こうした組織を支持した者、その存在を黙認していた当時の軍部や政府の指導者らも対象となる見込みである。例えば、国家安全学院の役割、そこで軍人や文民が行った講義・講演、かかる軍事介入の環境を扇動あるいは先導した者、それを踏襲したその後の政権である。
2000年代に権限が縮小された国家安全保障会議(MGK)は、1990年代には国家内部の統治機関の如く機能していた。MGKの中で活動してた市民広報課の役割と活動は、「2月28日過程」捜査とは切っても切れない。同課では文民も働いており、2005年に解散された後、そこの文書資料や職員の大半は参謀司令本部に組織された心理行動部隊とドゥルスン・チチェキ大佐が所属する情報支援部門に移された。これより以前の2003年に、MGKの提案で内務省内に別の市民広報局が、法律によってではなく、大臣の承認によって組織されていた。当時の大臣はアブドゥルカーディル・アクス氏である。現在係争中のバルヨズ裁判のような裁判では、参謀司令本部に移り継続された「国内治安」を目的とする心理戦での行為が裁かれている。

「2月28日過程関して裁判にかけるべき人たちの他に、司法に問う必要はないが政治的に責任の所在を示すべき「2月28日過程」の賛同者たちがいる。例えば参謀司令本部の入口で会見の順番争いをしていた機関、労働組合、市民団体(STK)である。1997年3月5日にトルコ実業家協会(TÜSİAD), トルコ中小事業者連合(TESK),トルコ革新労働組合連合( DİSK), トルコ経営者団体連合(TİSK) とトルコ労働組合連合( TÜRK-İŞ)が国家安全保障会議(MGK)の決定に全面的に賛同したことを発表していた。3つの労働組合の会長らは、「世俗主義と現代民主主義は危険にある」と述べていた。武器によって強制されて発言したのではなかった。彼らは皆、自分達が行ったことに興奮を覚えており、満足していた。1997年4月29日に参謀本部で行われた会見へ我先にと駆けつけた高等裁判所の面々、大学長、新聞記者らのように。2月28日過程後、公共機関、更には民間企業においても実施された(危険分子や反対派の)追放と並んで、一部の新聞記者を追放すべく行われた警告は氷山の一角にすぎない。

確かに「2月28日過程」での左派の成果はよろしくないものであった。宗教反動を恐れて口を閉ざして、生活スタイルを守るという理由で権威主義的な政府を支持した左派の態度は、現在恐らくはより混乱した形で、そのまま続いている。また、軍の肩を持つことが正しくないことを漠然とは認識しているが、具体的な行動に移さない左派の者も「2月28日過程」ではいた。「モスクも兵舎も知らない」や「クーデターもシャリーア(イスラム法)も知らない」というような態度で政治的争いを傍観した。今も左派の多くがこうした態度から何も学んでいないことを悲しく思う。エルゲネコン裁判の容疑者達の弁護を行なうことをしなかった人たちでも、「共倒れしてしまえ」とは言ってのけるのである。確かに「2月28日過程」で民主主義を支持した左派や社会主義者もいた。80年クーデターでは、「2月28日過程」とは比べものにはならない程の激しい圧力があったが、軍事勢力に対して社会主義者たちは殆ど一丸となって抵抗した。しかし2月28日過程はこうはいかなかった。80年クーデターは左派に対して、激しい弾圧を行ったため左派は殆ど一丸となって軍や軍事政権、そしてクーデターに躊躇することなく抵抗した。おそらく2月28日過程は、矛先が自分達に向かなかったため左派の多くは断固たる態度を示すことができなかったのだろう。

それでも次の事を忘れてはなるまい。今日、民主主義のために戦う者となりおおせた保守派の多くは、民主主義のための戦いという概念、議論、原則を1980年代前半の自由主義者や社会民主派らから学んだのである。80年クーデター後には、彼ら保守派はフェトフッラー・ギュレンの教えと、ネジメッティン・エルバカンの親イスラム政治に満足して、民主主義のために戦うことはあまり出来なかった。今日、左派の一部が民主主義のための戦いを傍観していたとしても、あるいはドン・キホーテが風車に突撃するのに似た、時代遅れで滑稽な考えによって戦いを続けているとしても、この態度が全ての左派や社会主義者に広まることの唯一の意義は、(そうした)安易な方法で心のしこりを浄化することであろう。つまり、少々頭を冷やして、この点についてより包括的に検討する必要があるということだ。

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( 翻訳者:小幡あい )
( 記事ID:26101 )