逆境のウズベキスタン進出トルコ企業
2012年04月19日付 Hurriyet 紙

ウズベキスタンで投資を行っているトルコ企業は現在、がけっぷちに立たされている。何十もの会社が差し押さえられる一方、会社の所有者の一部が数か月もの間拘束され、その後国外退去処分を受けている。トルコに戻った会社所有者らは、命の保障がないという理由で2度とウズベキスタンには行けない、と話している。ウズベキスタンの刑務所には50人程のトルコ人が収容されている。

ウズベキスタンにおいて、同様の状況下にある企業の数は60社と伝えられている。

アルトヴィン出身のヴァヒト・ギュネシュ氏とその兄弟らはトルコでの投資の後、2003年にウズベキスタンでも投資をし始めた。ヴァヒト・ギュネシュ氏は7~8年間で仕事の中心をウズベキスタンにシフトするようになり、彼がトップを務めるトゥルクアズ・グループは、この国における様々な分野で18の会社を設立し、4つのショッピングセンターをオープンし、またそこでは1200人の従業員が働いていた。

ウズベキスタンで約9ヶ月間独房に留置されたことを「ウズベキスタンでの地獄の体験」と表現したギュネシュ氏は、起こったできごとを次のように述べた:「2011年3月2日10時30分頃、私がショッピングセンターにいたとき、300人程の覆面の武装集団がショッピングセンターを取り囲みました。私たちはたちまち、自分たちの身に何が起こったのかうろたえました。私は事務所で捕らえられました。周りには50人程の武装集団がいました。彼らは7~8日間私を事務所に拘束しました。」

私が中で、事務所で拘束されている間、武装集団はショッピングセンターで略奪をしました。ショッピングセンターの入口に横付けしたトラックで略奪していきました。私を拘束するため私は袋をかぶせられた後、刑務所にいれられました。約9ヶ月間一人独房で留置されていました。収容された場所は諜報局の管理下にありました。ほんとうに辛い目に遭いました…。末の兄弟が70万ドルの金額を支払い、私は解放されました。

ウズベキスタンに私が設立した4つのショッピングセンターや18の会社は無くなりました。損失は少なくとも5000万ドルです。1200人の従業員がいましたが、全員失いました。資産が無くなってしまったように、私たちの心にもぽっかり穴が開いたようです。刑務所でもっていた持ち物や携帯電話さえも持てないまま、ウズベキスタンを出国しました。あの国で自分の資産があれば、ジャケットを買って出国できたはずです。」

ヴァヒト・ギュネシュ氏は、自らに対する罪状の理由が、「脱税および布教」というものだったと述べ、「私たちに対する捜査のために口実が作られたのです。私たちのグループ傘下の会社全てに行われた調査では、犯罪を見つけられなかったのです。それで彼らは保税倉庫と倉庫にある6万ドル相当の物品に、書類上の不備があると主張したのです」と述べた。

ヴァヒト・ギュネシュ氏は現在、没収された資産回復のため調停裁判を開くべく準備をしている。

■2500万ドルの損失

フェデラル・グループの傘下にあるフェデラル・エレクトリック社の経営者アスム・カヤン氏も、昨年拘束されていた内の1人である。365日に渡って拘束されていたと述べたカヤン氏は、次のように話した。「私たちはフェデラル・エレクトリック社として、ウズベキスタン政府と共同会社を設立しました。天然ガスメーターを販売していました。

トルコへ帰国しようとした際、空港で拘束されました。365日間拘束されました。罪状は「ガスメーターの高額販売」というものでした。もちろんこれは口実です。ウズベキスタンで投資をするために、トルコで入念な準備をしていました。フェデラル・エレクトリック社として、2000万~2500万ドルの損失が出ました。私が拘束されていた間、他の従業員は帰国せざるをえませんでした。会社は休業状態です」

■300ドルの領収書のために会社が差押え

ウズベキスタンで120人が勤務していた織物工場と百貨店を所有していたレヴェント・カラバユル氏は、体験したことを次のように述べた:「2006年に20万ドルの投資をしました。織物製品を生産していました。一方で製品を百貨店で販売していました。私がトルコにいた2010年12月15日にまず百貨店に調査が入り、その後工場に調査は移りました。理由は百貨店で領収書を切らなかったというものです…。

領収書を切らなかった製品の合計を合わせても300ドルはありません。もちろん領収書は手入れの口実です…。そこで私たちに重い罰金が科せられました。私は罰金を払いました。ウズベキスタンへの入国を禁止されました。百貨店は閉店しました。ウズベキスタンにいる友人らによって私たちはどうにか助かりました。しかし、私たちはそこで何が起こったのかを知っています。いま工場のトップはウズベク人です。彼らが工場を経営しているのです。私はウズベキスタンに行けないので、工場も取り戻せません。差押えは2010年末に始まりました。一昨日さらに4つの工場も差し押さえられました」と話した。

■買い手がいれば資産を売り、戻ってくるつもりだ

会社所有者数人は氏名が明かされることを望んでいない。理由は現在、ウズベキスタンで拘束されている従業員たちがいることと、その地に会社があるためである…。氏名が明かされることを望まない会社所有者は、2人の従業員が1年間半拘束されていると述べた。

「私たちが何をしたのか、ともあれこのようなことが我々の身に起こったのです」と彼は言う。「経済的に失敗しました。ウズベキスタンにある製造所は操業を停止されています。私は拘束されている従業員の家族たちの面倒を見なければなりません。私自身はウズベキスタンに行けません。資産や命をどのように守れるかわかりません。私はウズベキスタンに人生を捧げました。今は全て無くなりました。今は借金だけです。さらに、非難されることで辛くて…。現在ウズベキスタンから、多くの企業が資産を売り、帰ってきたがっています。しかし買い手が見つからないのです」と述べた。

■ジャケットさえも買えずに帰国した

他の会社所有者は次のように述べた:「ウズベキスタンに拘束された従業員がいます;彼らを助け出そうと努力しています。あなたたちに次のことだけ言いましょう。私はウズベキスタンでジャケットさえも買えずに帰国しました。私の身の回り品すべてはウズベキスタンにあります。私たちは「ウズベキスタンの雄羊」と言われていました。今はここで惨めな貧乏人です。加えてトルコで購入した物品の借金も私たちが背負っています。没収された資産を取り戻す可能性は低いです…」

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( 翻訳者:安井 悠 )
( 記事ID:26118 )