Abbas Güçlüコラム:学校牛乳問題を考える
2012年05月08日付 Milliyet 紙

騒動に発展していない問題は牛乳のみとなっていたが、我々の身勝手が過ぎた結果、同問題に至っても騒動に発展している。しかも何たる騒動だ。エルドアン首相も、問題を紛糾させまいと論争に加わったのだ、自ら名乗りを上げたのである…。我々はほぼ全ての問題で論争せざるを得ないのか?一方が批判すれば、もう一方は必ず弁護することを余儀なくされるのか?もううんざりだ。

牛乳といった至極重要な問題でさえ合意に至れないのであれば、我々はどの問題で折り合いをつけるというのか?牛乳に関して、いくつか問題が発生しているのは確かだ。しかし結果的に、数百万人の学生中たった数百人が何らかの体調不良を訴えた。残りの学生に至っては全く問題は起きていない。当然、学生が一人でも体調を崩しているのであれば、重大なことである。しかし配布された牛乳全てに問題があるという認識を生むことにどれだけの理があるだろうか?

もううんざりだ。学生、家族同様に教師たちももはや拘泥していない。牛乳への想いが冷めてしまったと口にする者もいる。では、この事にどれだけの理があるだろうか?より一層慎重が期されていればよかったのだが!

さて、批判者は度を超していたが、牛乳プロジェクト運営者らは正しき戦略を追従しただろうか?そうだ、とは到底答えられないだろう。当初、彼らは全く問題はないと伝え、お茶を濁した後、精神的な食中毒だと伝え、次にアレルギーだと発表して難を逃れようとした。そして、例によってマスコミに責任転嫁した。

エルドアン首相の昨日5月7日の一部発表は説得力に富み、心強いものであった。首相は調査を踏まえた決定を下すと言明している。しかしその後、市販されている他の牛乳全ては低温殺菌済みであるのに、なぜこの低温殺菌牛乳を批判せず学校牛乳を批判するのかと科学者及びメディアを非難してい る。それでも調査結果を待ち、それを踏まえた発表を行っていれば、より一層妥当なものとなっていただろう。

さて、毎日、数百万箱もの牛乳やヨーグルトが販売 されているが、集団で、あるいは個人で病院に搬送される消費者をご覧になられたことはあるだろうか?たとえご覧になったことがあるとしても、その牛乳を飲んだ消費者が食中毒を起こしているという言説を弄するような道理が果たして通用するだろうか?

■ プロジェクトは継続予定

よければまず当問題に関するエルドアン首相の見解を共に一瞥するとしよう:
「我々はとても不可思議な世界に住んでおります。ご存知の通り、科学者は度々牛乳の摂取を推奨しています。約700万箱の牛乳を配布しましたが、ここで判 明した通り最終的な結果として、幸い死や食中毒を誘発することはありません。アレルギーを誘発することは実証されています。私が閣僚に対し行った指示通達により、現在、科学的調査が実施されている所であります。明日あるいは明後日、当件に関する科学的調査の結果を発表すると思います。この発表後に当件に関する明確な決定を下し、我々は自己の路線を歩み続けます。但し、私自身、後戻りしようとは考えておりません。常々話題に上っている事があります。『これは、低温殺菌の不備だ』と呼びかける運動が始まりました。では、低温殺菌の不備は、運動の中だけで起きていることなのでしょうか。今日、全国で市販されて いる牛乳は全て低温殺菌済みです。 もしこのような不備があるとすれば、恐らく保険省も農林省も看過するはずがありません。そして恐らく、トルコ全土で-断じてあってはならないことですが- 食中毒事件が見過ごされるはずがありません。当件に関して仲間の閣僚が、現在、関係大学との連携し科学的調査を実施しており、また発表を行う予定です。」

■ なぜ継続すべきか?

年間約130万人の新生児が誕生し、このうち半数以上には母乳以外のミルクを飲む機会が得られていない。従って、成長期真っ只中にあっても健やかに栄養摂取することができないのである。故に、いかなる状況であれこのプロジェクトは支持されねばならない。

この問題でも全く予想だにしない問題発生は付きものである。もし、この事故が悪意や軽挙妄動の産物であるとすれば、皆でこの問題に取り組もうではないか。 とはいえ、既に言及したように、それが不慮の事故であるならば、その時はどうか、児童を混乱させ、児童が牛乳嫌いになることがないように配慮しようではないか!

総括:児童及び児童に関連すること全般を、政治的議論や論争で取り扱わないようにしよう。児童の健康や将来が問題になる場合は殊更である!..

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( 翻訳者:藤井庸平 )
( 記事ID:26340 )