シリアから解放の2名の記者、体験を語る
2012年05月13日付 Hurriyet 紙

ドキュメンタリー撮影のため訪れたシリアで2カ月近くの期間投獄されていたため、70日を過ごした記者らアデム・オズコセ氏とハミト・ジョシュクン氏は、捕えられていた期間に体験したことを語った。

IHH人道支援財団本部で行われた報道会見で話したアデム・オズコセ氏は、シリアで1年の間に政府が国民のために行ったこと、そして世界がその目でみてきたのは、暴力の政治であったと述べた。

「我々はハミトとともに、紛争の中に残って生き、困難を味わったシリア人の子供のドキュメンタリーを撮影するためにシリアに行った」と言うオズコセ氏は、撮影を開始してかまもなく、アサド側の国民兵によって拉致されたと述べた。

拉致された時、銃撃戦があったと明らかにしたオズコセ氏は、拉致されたのち手と目を縛られた状態でいろいろな家に11日近く捕えられていたと説明した。
拉致犯がその後自分たちをシリア政府に受け渡したこと、ヘリコプターでダマスカスに送還されたことを述べたオズコセ氏は、ダマスカスの牢獄において、53日間床で寝ており、一定期間ハミト・ジョシュクン氏とお互いに合うことができなかったと述べた。

オズコセ氏は、IHH人道支援財団ビュレント・ユルドゥルム氏が来た後、ハミト・ジョシュクン氏と同じ牢に入れられたことに言及した。

■「良心の証書

ハミト・ジョシュクン氏と会うまで11日間食べ物を食べなかったと明らかにしたオズコセ氏は、「ずっとお互いに会いたがっていたが、会わせてくれなかった」と話した。
捕えられていた牢は奥行き2メートル、幅1メートルであり、牢の前に黒い扉と、扉には小さい窓がついていたと説明したオズコセ氏は、ハミト・ジョシュクン氏とともに投獄されたのちはその牢がもっとも広い場所のように見えたと語った。

オズコセ氏は、牢に入れられた期間、無数の事を目撃したこと、これらを順に明らかにしていくと述べた。

国際関係で「良心の証diploma」という新しいコンセプトが確立したことに言及したオズコセ氏は、解放を「私は心が、良心が、祈りが武器よりも強いと信じている。この経験で、良心の証、心、祈りが武器に打ち勝ったのだ」と語った。

自分たちのために祈り、救助に貢献した皆に感謝したオズコセ氏は、記者らにも同業者として自分たちを擁護してくれたことに感謝した。
オズコセ氏は、「シリアで国内のもう13人の同業者、欧米人の記者がいた。彼らも解放されるよう願っている。中には女性や子供もいた」と述べた。
女性と子供が解放されるためIHHが活動していること、自分もこれを支持していることを述べたオズコセ氏は、囚われていた期間に自分たちがこれからどうなるかについて頭で様々なシナリオを描いたとも話している。

オズコセ氏は、「最もいいシナリオはアッラーがお書きになった。我々が解放された時、改めてそう感じた。神よ、もう誰も捕虜になりませんように。我々が経験したことを誰も経験しませんように。我々は自由です。シリア国民が、一日でもはやく自由になるよう、祈ります。」と語った。

■拷問はなかった

捕縛されていた間、拷問はなかったと語ったオズコセ氏は、目隠しをされた状態で質問され、自分たちに「なぜトルコはお前たちをこれほど強く求めるのか」という質問を行ったと述べた。
オズコセ氏は、シリアで実は自分の人生のドキュメンタリーを撮影していたことになると述べ、「二カ月間で起こったことはドキュメンタリーのようでした。シリアの人々の幸せ、喜びを撮影したいです。戦争で苦しんだ子供たちでなく、その過程を経たのち、幸せの中にいる子供たちのドキュメンタリーを撮影するために行きたいものです」と述べた。

今日が母の日であると述べたオズコセ氏は、「私の母は私を見て泣きました。朝は一緒に朝食を食べました。本当にその時の母は世界で最も幸せな母です」と言った。

■ハミト・ジョシュクン氏の感情

ハミト・ジョシュクン氏も、シリアで2カ月間陽のあたらない牢獄で寝ていたことを述べ、「自由は世界で一番いい物だ」と述べた。
テヘランについた時、今が何日なのかさえ分かっていなかったことに言及したジョシュクン氏は、「非常に感謝している。シリアには自由を待ち望んでいる多くの人がいる」と話した。

■オズコセ氏とジョシュクン氏のたどった過程

IHH人道支援残団ビュレント・ユルドゥルム理事長は、オズコセ氏とジョシュクン氏が拉致された日から今までずっとその後を追跡してきたこと、そして被害者とともに、「人道の証書」の枠組みにおいてある試みを始めたことを説明し、2人の記者がシリアで拉致されたことがトルコで大きな話題になっていたことと、誰もがこの事件を我がこととして考えたと説明した。

ユルドゥルム氏は、アブドゥッラー・ギュル大統領、レジェプ・タイイプ・エルドアン首相、アフメト・ダウトオール外相が、これについてあらゆる方法で取り上げたこと、シリア政府に解放を要請したと述べ、全政党がやNGOが、みな2人の記者を擁護したことを説明した。

オズコセ氏とジョシュクン氏の解放では、難しいことが多かったと述べたユルドゥルム氏は、シリアとイランの関係者と会合し、特にイランには、援助に関し感謝していると述べた。
ユルドゥルム氏は、イランの努力によりシリア関係者に会うことができ、2人の記者が場所を知ったと述べ、シリアの関係者にも会話の扉を開放したこと、オズコセ氏とジョシュクン氏を法廷に出すことなく解放したことを感謝した。

何か取引があったわけではないと述べたユルドゥルム氏は、シリアにいる13人の外国人記者についても、自分たちに(支援の)要請がきていると述べ、「シリアにいる13人の外国人記者が解放されるよう手助けをする」と述べた。

ユルドゥルム氏は、自分たちをこの過程で援助したイラン人の外交官が昨晩(空港で)VIPルームに迎えられなかったと述べ、そのイラン人外交官に謝罪をしたと述べた。
被害者協会副理事長であるレジェプ・カラギョズ氏も、2人の記者の解放の関わった全ての人に感謝した。

【訳者注記】 IHHは、İnsan Hak ve Hürriyetleri ve İnsani Yardım Vakfı(人権自由人道支援財団)で世界各地に展開するトルコの国際NGO組織。ギュレン教団系の組織といわれる。

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( 翻訳者:倉田杏実 )
( 記事ID:26385 )