Lagendijkコラム:中絶問題政治化のゆくえ
2012年06月02日付 Zaman 紙

レジェプ・タイイプ・エルドアン首相は、中絶を殺人に例え、「すべての中絶は、ウルデレ事件同然だ」と主張した。『議論を混乱させる最良の方法』というマニュアル本があったなら、首相のこの発言は掲載間違いなしだろう。

私自身は、AKP党首の中絶についての発言を、「民主的保守主義」からさらに問題のある「国家的保守主義」への流れの一部として見るヤブズ・バイカル氏のような評論家に概ね賛成である。しかし、本欄でこのまったく感情的で盲目的な発言の裏にある理由をひたすらに述べようとは思わないし、この上なく残忍で非情なウルデレ事件と比較するということについても多くは語りたくない。
本欄では、トルコで中絶を議論のテーマにしようとするエルドアン首相の試みに焦点を当てようと思う。
保守派政党党首の中絶への批判には誰も驚かないだろう。多くの国で、中絶についてリベラルな法を持つ国においても、保守派あるいはキリスト系民主主義政党は常に、女性に決定権を与える法を希薄化、あるいは妨げようとしている。ほとんどの場合、これらの取組みは、中絶可能期間の引き下げ、あるいは女性に再考を義務付ける仕組みを作り出すことが主である。アイルランド、ポルトガル、マルタ、ポーランドといった国々で中絶は非合法であり、例外的事例においてのみ許可される。この問題においては、最もリベラルな国家のうちの一つとして数えられるオランダでさえ、中絶法は議論から解放されておらず、中絶に反対する政治家らは、法改正において概ね成功を収めている。

例えば、認可を受けた診療所や病院であれば、妊娠後から胎児が人間と認められるまでのどの点においても中絶手術が許されるオランダでは、中絶を望む女性には5日間の再考が義務付けられている。この期間は保守派が要求したものであり、その目的は女性の早急な決断を防ぎ、別の選択肢を視野に入れさせることだった。他国も、決断をする女性らに、完全な即断権を与えることを制限している。この制限に賛成でも反対でも、長い激論の末に、あらゆる規定を整え、女性に選択権を与える者が、こうしたデリケートな問題をより中庸的に扱おうとする人々の説得に成功したことは明らかになっている。首相が自身と見解が異なるものを殺人者であると批判しては、トルコでは繊細で良識ある議論が置き去りにされてしまうだろう。これは、議論を始める機会さえ与えずに葬り去る最良の方法だ。

エルドアン首相のこの乱暴な発言は、諸政策の与える影響を含めた、中絶についての調査に対する首相の無関心を表すものだ。例えば、先日発表された調査結果では、オランダでは中絶手術は合法で安全、低額あるいは無料であるにもかかわらず、施術率は他国と比較して非常に低いことが明らかになった。報告者は、この中絶件数の低さを、避妊具の合法販売と、安価な避妊薬によるものであると説明する。よって、以下の結果にたどりつく。「妊娠予防が合法である場合、女性が妊娠、あるいは望まない妊娠をする可能性はより低くなる。」

他の報告も、首相の発言がなぜ単に害があるだけでなく、無責任であるかをはっきりと示している。世界保健機構(WHO)が行った調査は以下のことを明らかにした。世界規模で見たとき、全中絶件数のほとんど半数は安全でない状況で行われており、この状況下で中絶する女性のうち8人に1人が死亡している。政府は、中絶をほとんど完全非合法にすることで、何千人もの少女や女性をヤミ中絶に追い込んでいるのだ。
裕福な女性は外へ出て安全な中絶を選択できるだろう。貧しい女性にはこの選択肢はなく、昔のように階段から飛び降りたり、編み棒を突き刺すなどして堕胎するのだろう。文明国の指導者は、このような重要な政策をむやみに推し進める前によくよく考えなければならないのだ。

中絶と帝王切開、そしてトルコの女性が少なくとも3人の子供を持つべきとするエルドアン首相の発言の悲劇的な面は、経済政策の成功結果を以ってこれに介入しようとしていることである。他のすべての国でそうであるように、トルコで裕福になりつつある家庭もより少なく子どもを作る傾向にある。よりよい教育を受けた女性は、何人子どもを作るかを自分で決めることを望んでいる。この傾向を止めようとすることは、深刻な危害をもたらすが、結局AKP党首が決して勝たないだろうこの争いに立ち入るということを意味している。過激な発言は政治的利益を生み出すという点では良いかもしれないが、首相自身が作り出した新しいトルコの必然的真実を変えはしないだろう。

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( 翻訳者:藤井彩香 )
( 記事ID:26591 )