コラム:もはや公正発展党とは、イコール、タイイプ・エルドアンだ
2012年05月28日付 Milliyet 紙


どうしてセイランテペのTTアリーナスタジアムに地下鉄で行こうなんと思いついたのか自分でもわからないが、ほんとうにそうしてよかった。でなければ、隣に座って、私に「君も、タイイプ大好き病なの?」ときいたムラトと知り合うこともなかったろう。

ムラトは、ハンサムで、今風。とても紳士的、イマーム・ハティーブ高校の出身で、彼の言葉の通りにいえば、「イマーム・ハティーブ高校の出身ってことで、ひどい目にあってきた」一人だ。エルズンジャン出身だがイスタンブル育ちで、民間企業で働いている。公正発展党(AKP)の党員ではないが、「党といろいろ関わっている」。タイイプ・エルドアンの「全て」がすき。エルドアンはたまに厳しいことを言い過ぎたり、怒りすぎたりすると思うが、「それもしょうがないさ。ソフトに行動しようものなら、ほら「クルド問題解決策」のときみたいに、誰もかれも、やりたい放題だ」という。

まるで「ガラタサライのファンなの?」「マドンナのファン?」と聞くかのような自然さで、、ムラトが当然のこととして受け止めている「エルドアン信奉」は、AKPイスタンブル県大会に向かう途中の私のなかで、全てのことを納得させた。

■うきうきと、自分の席へ

しばらくして、ムラト、私、そして押さえきれないように急ぎ足でセイランテペの駅を下りた何百人もの人は、地下鉄からでて、党組織が我々に連絡してきたゲートナンバーに向かって進み、人でむんむんするスタジアムのなかの携帯電話に送られてきたゾーンの中の席に座る。何万人もの人が、バスや自家用車でもやってきて、同じ事をしている。

少なくとも6万人の人が参加したAKPのイスタンブル党大会は、トルコの政治が、もはやイデオロギーや、政党、あるいはいくつかのシンボルではなく、完全に「タイイプ・エルドアン信奉」を核に形作られていることを示していた。それこそが、現実だ。すばらしい演出で整然と進行する県大会は、まるで「エルドアン大好き人間」の祭典だった。

この50年来、しばしば使われてきた「個人崇拝(カルト)」という言葉は、もともと、社会学者マックス・ウェーバーのいう「カリスマ的権威」、あるいはカール・マルクスのいう「個人崇拝」といった概念からの引用だ。私が理解する「個人崇拝」という言葉は、ある政治的人物がメディアや宣伝、その他の近代的通信手段を駆使して、英雄化させられ、それを核に作り出される政治的潮流、という意味である。(北朝鮮やシリアのような)権威主義的体制を除けば、今日の西洋世界で、政治がリーダーを核にした個人的崇拝の上に進んでいる二つの国は、アメリカとトルコだ。

■「ウスタ(師匠、親方)」の 詩ではじまった

2010年の国民投票の準備の時に、AKPのブレーンチームのある人物が、「語られるべきいいストーリーがあるし、何にもまして、人々に信じさせることができるいい語り手がいる。キャンペーンを、首相を核に組み立てる」といっていた。
国民投票だ、選挙だ、といって、あれやこれやするうちに、宣伝の面でも、また、(党や国家の)統治の面でも、もはやAKPは、タイイプ・エルドアン・カルトを核に整えられた。首相は、いつものように、TTアリーナでも、「ウスタ」の詩でもって迎えられた。
(憲法改正の国民投票のあった)去年の今頃に、イスタンブルの全ての街角で、ビルを飾るタイイプ・エルドアンの巨大ポスターを目にしてきたものとして、スタジアムのなかの首相の巨大ポスターにはそう驚かなかった。しかし、会場内にあった唯一の政治的シンボルがエルドアンであったことには、さすがに私も驚いた。

■「あなたへの愛と喜びで、この道を進む」

奇妙なことは、本来、これは、単なるイスタンブルの県大会だ、という点だ。つまり、エルドアンは(党の県組織の)候補でするない。しかしスタジアムを埋め尽くした人々を沸き立たせる政治的エネルギーは、「彼」を核に作られている。ナンバー2の名前も、シンボルもみられない。(イスタンブル選出の)国会議員や、党のその他のビッグネームの名前が読み上がれることもない。イスタンブルに関する短いドキュメンタリーにも、画面の右下には、エルドアンのロゴマークがある。ちょうど共和国記念日にテレビの各チャンネルが右下にアタテュルクのロゴをつけていたように。

しばしば、党の下部組織が広げた「不認可」の横断幕が、目に焼き付く。全てがエルドアンへの忠誠を誓うものだ。「師匠(ウスタ)!(選挙で)サルエル区はとった。あなたへの愛と喜びで、この道を進んでいく」、「民主主義の心臓から、師匠に挨拶を(スィリブリ区組織)」(訳者注:、スィリブリの拘置所・裁判所で、エルゲネコン裁判が続いている)、「偉大なる師匠へ、AK(白い)ページを」、「このスタジアムに、こんなライオンをみたことはない」(訳者注:TTアリーナはサッカー・ガラタサライの本拠地。ガラタサライはライオンをシンボルにしている)、「約束します、師匠!2014の選挙では約束を守ります」

ビュレント・アルンチ副首相や、アブドゥッラー・ギュル大統領なのでの、他のAKP創立主要メンバーが内心でどう思っているかはわからない。しかし、AKPとは、もはや、タイイプ・エルドアンのことである。これは、2010年以来、広告代理店、コミュニケーション企業、そして党のブレーンたちの意識的な歩みにより、形づくられ、そして首相自身の統治手法とも合致した、ひとつのトレンドだ。
エルドアン信奉の基礎は、近代的な通信手段と、都市にすむ保守的な中の下の階層だ。

■アタテュルク信奉に続き・・・

つまり、エルドアンは、1980年代以後、すっかり時代遅れとなってしまったアタテュルク信奉につづき、多くの意味で、共和国政治の第二の個人崇拝の対象となったのだ。AKPイスタンブル県支部長のアズィズ・バブシュチュ氏は、完璧主義の支部事務担当者であり、昨日の大会を、他の党ではみることができないようなオーガニゼーションと規律をもって、時計のような正確さで、きちんきちんと仕切った。

バブシュチュ氏は、エルドアンの直前に行った短い演説で、「(ここに参加している)皆さんこそが、「エリートたちの抵抗にもかかわらず」、政権を握った大衆である」といった。人々は、ここで大いに盛り上がった。

周りを見渡した。観客席を歩いてみると、中部アナトリアや黒海出身者がいかに多いかが、よくわかる。大まかにいって、バブシュチュ氏の言葉に沸いた人々は、都市に定着した第一世代だ。バシャクシェヒル、ベイリキドゥズゥ、マルテペ、サルエルの西側(ボスフォラス海峡の反対側)のような、郊外の町からやってきている。私企業か、職人として自営業を営んでいる。(今日の)消費社会に満足しており、「新しいトルコ」(の成長)から、なんからの分け前を得ようと求めている。

これを目指すとき、彼らが支持する唯一の人物が、タイイプ・エルドアンなのだ。

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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:26614 )