Ismet Berkan コラム:F教団と政府の戦場、「特別権限法廷」
2012年06月07日付 Hurriyet 紙

実は、全てのことが奇妙に始まった。政府の運輸交通大臣が新聞記者と話しているとき、刑事裁判法の第250条が変更されると述べたのだ。刑法第250条とは、例の有名な特別権限法廷を設け、それらの権限の範囲を規定する条文である。

発表を法務大臣ではなくて、運輸交通大臣が行った。なぜだろうか。その後、レジェプ・タイイプ・エルドアン首相は、運輸交通大臣の発表を認めて、「ええ、変更します」と述べた。

しかし、まだ首相が発表を認めていない際に、騒ぎが起こっていた。フェトゥッラー・ギュレン教団に近いと考えられている諸新聞では、エルゲネコン、バルヨズなどの裁判逮捕者800人が近々釈放されるとの推測が行われた。

しかし、まだ法案さえなかったのだ。さらには、特別権限法廷が完全に廃止されるにせよ、逮捕者らの釈放が自動的に現実化される理由もなかった。

いずれにしろ、その時以来、ギュレン教団に近いと考えられているコラムニストや新聞社は、政府に対して真摯な旗を振っている状況である。「クーデター主義者は新たに自由となり、クーデター主義者は問題をむしかえすだろう」と言う者たちさえ現れた。

この動きに対して、エルドアン首相は、前夜に出演したテレビ・インタビューで、この変更を弁護した。変更がなぜ必要なのかについて説明した。何がなされるかについてのヒントも与えた。

今日目にしている教団と政府の闘いは、実はイスタンブルの特別権限検察局が国家諜報機関(MIT)ハカン・フィダン事務次官を召喚したことから始まった闘いの最終段階にある。

政府はまずMITメンバーが捜査されたこと(そして逮捕されたこと)の対策として、法律の条文変更のみによって対処した。そして今、根本的な解決の時期が来た:特別権限法廷の特別司法権限の正常化、特別権限検察官の特別権限を正常化することである。

明らかになったことは、首相は、無辜の者も犯罪者とされる範疇の逮捕には反対ということである。こうしたことを発言し、もし問題があるならば、問題を解決するためにかなり手遅れだが、間違いがどこで矯正されようと、良いことである。

■司法の正常化

トルコは、まずアブドゥッラー・オジャランを裁く際に、この裁判がEU人権裁判所から差し戻されないように、国家安全保障法廷(DGM)から軍人を排除した。このようにして、この法廷が半ば軍事法廷である(性質)から救われた。遅い一歩であったが、ついに実現した。

その後、この法廷の名称は変更した。それらをDGMではなく、「特別権限法廷」とするところであった。しかし、この変更の際に、(この新組織の)検察官と裁判所に、DGMの悪い箇所と批判を受けた部分を付け加えた。

その筆頭は、この法廷に憲法第14条の範囲内で犯罪者をいかなる許可も取得せず、直接裁く権限を与えたことだった。

MIT事務次官は、この権限でもって検察局に召喚された。在職中の司令官も、この権限により逮捕された。国会議員はこの権限により今も裁かれている。

今、正常化がなされるのであれば、一部の権限に対しておおなたがふるわれるのは必然的である。

どの権限がおおなたをふるわれるのだろうか。

■逮捕を困難にさせる

実際、逮捕手続きを一層条文化し、逮捕を特別な措置とする諸修正は、今、国会で審議中の司法(改革)案の中身を成している。

私は、首相が不満に思っているこの問題を解決するために、国会(に提出した)一連の司法(改革)案を不十分だと思う一人ではあるが、この法案がすぐに法制化されることも願っている。

法制化されれば、裁判所は、今後逮捕する際、あるいは既に逮捕されている人々について異議申し立てを検討する際に、非常に一般的な表現を用いることはできず、各個人の逮捕要件を個別に挙げることになるだろう。

これの最初の大きな影響は、EU人権裁判所でも検討されることになるだろう。しかし、ギュレン教団に近い組織が発表したように、800人の釈放が可能となるのか、それは確かではない。

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( 翻訳者:石川志穂 )
( 記事ID:26647 )