Ismet Berkan コラム:F教団と政府の対立の行方
2012年06月09日付 Hurriyet 紙

フェトフッラー・ギュレンの思想を核に集まっている人々は、自分たちのやっていることとを「社会奉仕(ヒズメト)」と呼んでもらいたいと言っている。

この大勢の人々のやっていることを見てみると、ほんとうに、そのほとんどが「社会奉仕」であることがわかる。学校、病院、援助組織、社会支援組織・・・・。しかし、こうした全「社会奉仕」活動の核心には、宗教的な対話のための集会がある。このために、「教団(ジェマート)」という名称が広く用いられている。さらには、「The 教団」という本さえ、書かれた。

事業の主要部分は「社会奉仕」ではあるものの、この教団には政治的な側面もある。政府のなかで、とくに警察や司法組織の中で、またメディアやオピニオンリーダーのなかで、その存在が大きく、重要なものとなっているといって過言ではない。現在、政府と「けんか」をしているのは、まさに、教団のなかのこの部分だ。

[訳者注:APK政権が、軍のクーデター計画やPKK―KCK捜査、地方自治体首長らの不正疑惑などの捜査を行ってきた特別権限法廷の権限の縮小(または、対象範囲の制限)を提起したのに対し、ザマン紙をはじめとするギュレン教団系のメディアが一斉に批判を繰り広げている。「けんか」とは、こうした一連の展開を指している。]

誤解のないようにいっておくが、私は教団が二つの部分からなっている、といっているのではない。言いたいのは、教団を本来成り立たせている「ことがら」は、この「けんか」とは関係がない、ということだ。今日、政府と教団の間におきている「けんか」の根底には思想的な違いがあるわけではない。すなわち、AKPや政府、あるいは、実名をあげるなら、レジェプ・タイイプ・エルドアン首相が、以前の考えを捨て、それゆえ思想的な意味で教団と対立した、というのではない。その反対に、クーデター主義に対し、あるいは「エルゲネコン」と呼ばれる秘密の意図をもった人々に対し、またPKKに対し、政府がこれまでと異なった考え方をしていることを示すような証拠はどこにもない。

それでは、この「けんか」はどうして起きたのか、そして、それに対し、なぜ私は「最後のけんか」という名をつけたのだろうか?

[訳者注:前日のコラムで、「最後のけんか」と書いていることを指す。]

トルコで今起きている、あるはこれまで起きた政治的な対立の大部分は、本来、権力闘争だ。思想や原則は、その次のレベルにとどまる。今、ここで起きていることも、はやり権力闘争だ。そして、このけんかを始めたのは、レジェプ・タイイプ・エルドアン首相だ。

彼がこの喧嘩をはじめさせた理由は、教団の、とくに国家と官僚機構(とくに安全保障関係の官僚機構)の中にある「要素」と、権力を分かち合いたくなかったことによる。
首相が権力を分かち合いたくないと思ったからには、実際に、権力を望んだり、あるいは首相の許可なく権力を行使したものがいた、ということを意味する。
権力に関し、首相が絶対に誰にも譲る気がないという事実を、我々は、イスタンブルの特別権限検察官が国家諜報局事務次官を事情聴取しようとしたあとに起きた事件で、よく理解した。

[訳者注:国家諜報局フィダン事務次官が、オスロ―でPKKとの折衝にあたったことを理由に取調べの対象となった事件。政府は速攻で法律を改正し、特別権限検事による国家諜報局員要職者への捜査を禁じた。]

なぜなら、問題は、誰それが局長になるとか、誰それが副事務次官に任命されるとか、なんとかいう会社が入札を獲得するとかといった問題を超え、突然、国家のもっとも基本的な政策選択を裁判にかけるという点に及んだからだ。イェニ・シャファク紙のアリ・バイラムオール氏がその頃コラムに書いていたように、この問題は、「警察や検察の手によって、政府の政策がねじまげられる」ところに至った。

首相は、ことここに至り、(教団の問題に)「手をだしたらやけどする」という態度を変えざるをえなくなった。あるいは、この権力闘争は、ひそかに、ずいぶん長いこと続いていたのだろう。

■教団は、自分たちの力を過信したのか?

「社会奉仕」と呼ぼうと、「教団」と呼ぼうと、いずれにせよ、いま話題にしている相手は、その数が非常に多く、重要な経済力をもち、相当な組織力をそなえている。
私たちは、社会に深く浸透しオルガニックなやり方で広がるこの教団が手にしている力が、すでに社会で大きな影響力をもっているこを認め、それが偶然手にいれられた、思想的に脆弱なものだと考えないことが必要だ。そして、前にもいったように、その力は、もともと「社会奉仕」からきている。

しかし、世論の目には、この「社会奉仕」は隠れみので、実はそれは「政治」なのだと映りはじめ、しかも、その「政治」たるや、決して包括的なものではなく、ほとんど 復讐の怨念にかられた情け容赦ない力の行使のようにとられ始めた。このことは、結果的に「社会奉仕」にも傷をつけ、そのイメージを損なっている。

政府に対してはじめられた、終わることのなさそうなこの「けんか」は、一種の非妥協、抵抗状態にある教団内の一部が、勝てる見込みのない喧嘩を始めたことを意味している。彼らは、自分たちが手にしている力がコンパスのなかでどこに位置しているのか、自分たちの力が何に相当するのかを十分にきちんと測ることのできない構造を有していると思われる。

■教団は一歩あとにひき、時期を待つだろう

アンカラからのニュースによると、官僚機構内で、相当な規模での「教団一掃」が行われているとみられている。特別権限検察とその法廷が「正常化」させられたら、その後には、そこに集まっていた権力が散り散になる、その過程を我々は見ることになるだろう。

教団は、国家権力と政治権力が合体して生まれた彼らの対戦相手を破ることはできない。破れないことを、今日はわからなくても、そのうちに受け入れる。

しかし、そうなったことが、教団の消滅や、活動の停止は意味しない。彼らのうちの「社会奉仕」の部分は続いてゆくからだ。政府の中での組織化も、かつてのやり方にもどり、おそらくそう見え見えの形ではなく、続いていくだろう。しかし、今日、教団がもっているとされる「力」は、しばらくすると、目立たなくなるにちがいない。

しかし、前述のとおり、「力」が見えないこと、感じられないことは、それが消滅したとか、消滅するとかいう意味にはならない。

「教団」を長きにわたり遠くから観察し、それを理解しようとしてきたものとして、私の意見は以上のとおりだ。

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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:26653 )