Derya Sazakコラム:ザナとエルドアン
2012年07月01日付 Milliyet 紙

10年間刑務所で過ごした後、2011年総選挙で国会入りしたディヤルバクル選出無所属国会議員レイラ・ザナ氏が昨日エルドアン首相を来訪した。

ザナ氏とエルドアン首相の会談は1時間30分続いた。
会談には、2009年から今まで「クルド問題の民主的解決」のプロセスの責任者であるベシル・アタライ副首相も参加した。
レイラ氏は会談に、共に闘ってきた故オルハン・ドアン氏の追悼式でよまれた「永遠に続く戦争はない。この地に平和は必ず訪れる」というメッセージとともに臨んだ。
南東アナトリアでテロが再び増加するなか、ザナ氏は「クルド人の権利が認められることと平和的解決のために新たなスタートが切られること」を望んでいる。ザナ氏は、平和民主党(BDP)執行部から批判されると知りながら「エルドアン首相が望めば問題を解決してくれる」といいながら、勇気ある一歩を踏み出した。首相もレイラ・ザナ氏の考えを重視しながら首相官邸での1時間半の会談に備えた。

■選挙から1年がたった

この間にシルヴァンとダールジャの襲撃、そしてウルデレの悲劇が起こった。
オスロで政府がクルディスタン労働者党(PKK)と話し合っていたことが判明した。会談には首相の名代として現在のトルコ国家情報機構ハカン・フィダン次官も参加していた。
カンディル(PKK本部サイド)とイムラル(オジャランサイド)もかかわっていた。

■PKKの武力放棄について「議定書」が用意されていた

オジャランを「自宅軟禁処分にすること」について話し合われていた。しかしこの過程でPKKが再び武器を手にしたことでこの話は御破算となった。しかも政府はクルディスタン社会連合(KCK)一掃取締りで、「民主主義政治」への道を閉ざしてしまった。逮捕されたのはほとんどが平和民主党の党員で、選挙で選出された市長ら、政党幹部のビュシュラ・エルサンル氏、ラギプ・ザラコル氏のような知識人、新聞記者らが逮捕された。最後にヴァン市長が刑務所に入れられた。クルディスタン社会連合掃討作戦は公務員組合連盟(KESK)にまで及んだ。
レイラ・ザナ氏はクルド人へのこうした弾圧が和平のためにならないと首相に説明したに違いない。PKKが武力を放棄したら、PKKと政治のあいだに一つの「場(道)」が開かれるべきである。
この「場」を共和人民党のクルチダルオール党首が指摘したように「政治組織」が開くはずである。
レイラ・ザナ氏が「クルド問題が憲法を土台にして解決されるはずのトルコで、まだ若者が命を落としていることに人々は心を痛めている」と言うのは正しい。訪問の重要な役目は、タイイプ首相にレイラ・ザナ氏のように1990年代の「内戦」を経験し、議会から強制的に引き離され10年間刑務所に入れられていた国会議員によって、真実が語られることである。
エルドアン首相は長い間「敵対する声」に耳をふさいでいたため、レイラ氏の説明したことは彼の興味をひいた。エルドアン‐ザナ会談の前に注目された事件は、ムサ・アンテル殺人事件の犯人(ヒットマン)であるとされているシュルナク・クムチャト出身のハミト・ユルドゥルム氏の逮捕である。

■「アペ・ムサ」殺人はディヤルバクル軍警察諜報テロ対策局(JİTEM)の仕業であった

アンテルが殺された殺人事件から生き残ったオルハン・ミルオールは、犯人らが遺体をバラバラにしJİTEMの施設に隠したと書いた。事件のファイルは「時効」まで数か月を残す中、ディヤルバクル特別検察官により新たに調べられている。

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( 翻訳者:倉田杏実 )
( 記事ID:26893 )