Mehveş Evinコラム:エユプの人びとはなぜ急にアルコールに敏感になり始めたのか
2012年07月15日付 Milliyet 紙

どうして5年前のサントラルキャンパスの「アルコールOK」の開会式に参加した(イスタンブル金閣湾奥の)エユプの人々は、突然「敏感さ」を思い出したのだろうか。 ワン・ラブ・フェスティバルに抗議しているのは誰なのか。音楽祭を「酒と売春」の視線で見る人たちの言い分が通ったら、(一体)どうなるのだろうか。

ビルギ大学のアリベイキョイにあるサントラルキャンパスの開会式は、学生や招待客だけでなく、市民にも開放されていた。私は夜行われた式典に参加したため、 良く覚えている。エユプの人々は家族みんな集まって地区の中心に開校されたこの興味深い学校を見に来ていた。庭の現代芸術作品を見たり、芝生でダンスをする人を見たり、食べ物や飲み物の列に並んでいた。当然アルコールもあったが、誰も他人の振舞で不快を感じていなかった。

大昔のことではない、4、5年前にこの光景を見た時、大学が市民との間に壁をつくっていない点を評価し、想像とは異なり、社会がお互いの違いに敬意を払いながら同じ場所で良い時間を過しているのを目にして喜んだものだった。

ではどうして今日サントラルキャンパスで行われた音楽祭が問題になったのだろうか。エフェス・ピルセン社が開催したワン・ラブ・フェスティバルはエユプ区役所の抗議によりロゴの「エフェス」を使う事を諦めることになったのか。

■ビールと売春祭

ワン・ラブで何がおこったのか簡単に触れよう。6月28日に現地のエユプ新聞は「エユプでのビール祭にNO」キャンペーンを始めた。フェイスブック とツイッターにつくられたグループは、音楽祭は『ビールと売春』祭だと主張し、イベントの中止と抗議のため呼びかけを行った。イェシルアイは、7月10日 に「若者に酒を飲むことを習慣化させた事」を理由を示しながらイベントの中止の要求を県庁に申請した。その後、エユプ討論会と名乗るグループもイベントの中止を求め県庁前で記者会見を行った。

エユプ区役所の発表によると「市民からの多くの苦情」が寄せられたという。「このようなイベント」はエユプには似合わないのだという…。特にラマダ ン月が近づいている時期は!良く聞いてください、もともとこの国ではラマザンになったら、誰もアルコールOKの活動を行うことを考えもしない。ところが今「ラマザンが近づいた」もしくは「神聖な月」といった言い訳が生みだされている。次の言い訳は「神聖な月まであと6カ月」にでもなるのだろうか。そ れとも、もともと狙いはアルコールを時と場所に関わらず禁じることなのだろうか。

このように、問題はイベントがアルコール・メーカーがスポンサーとなって行われた、ということではない。イベントは「一部のグループ」によって「売春」と 非難されている。何よりもまず、これらのグループは何者なのか、何人くらいいるのか、公表するべきだ。エユプ区役所は自ら始めたアルコールとの闘いを、 市民の「敏感さ」を主張したり、エユプの神聖さを理由にしたりして行うべきではない。結局イベントへの抗議のポスターを張っているのも、アルコールの販売が行われないよう圧力をかけているのも彼らなのだ。

■神聖さの境界線を尋ねて

歌手のムラト・ギョエバカンが行ったこの問題に関する素晴らしいコメントは差別や分裂をあおる例である。「もしこのような組織があるのならばそれはエ ユップに限られたことではないと思う。」それではその境界は、場所はどこなのだ、ギョエバカン。彼には、それぞれの組織に対して神聖な場所と境界線を尋ねてほしいものだ。

まったく、アルコールの販売が行われる音楽祭の場所を誰が何によって決めるのだろうか。「宗教的に敏感な」もしくは「価値のある・なし」を区が決めるのだろうか。これ程ふざけた事はない。

報道では「エユプ市民」を名乗るあるグループの存在が言及されている。「オスマン時代の遺産の町」を守ろうと必死である。傷つけられているのだという! (廟に眠る)エユプ・スルタンに本当に敬意を払うのだというならば、まず区の腐敗した構造に手をつけるべきである。また、「私たちは他人の信仰にも生き方にも芸術観にも反対していない」と嘘をつくべきではない。ただただこれら全てに反対する人たちは逆の立場に立った時、自己矛盾する。

私たちは、このような反対の声がどこに行きつくのか、信仰と敏感さが言い訳にされていかにひどいことが行われうるか、そしてこうした行為を行う人たちが得をするのを歴史上何度も見てきた。(1955年)9月6-7日事件や(1993年シヴァスでの)マドゥマク事件はいつも同じ精神の産物だ。

常にスンナ派イスラム教徒の敏感さが主張されている。それではこの社会に住む他の人たちの敏感さや自由はなぜこれ程無視されているのだろうか。

■目的はアルコールとの闘い

・アルコール・メーカーがイベントのスポンサーをする事はもともと法律でかなり制限されている。もしもエフェスにこれに関する過失があるならば議論を呼ぶだろう。しかしその場所の歴史や町の宗教色の強さを言い訳に禁止することはできない。

・しかし今回イベントの酒のロゴを排除した者たちは、次は「売春を意味する」として「ワン・ラブ-一つの愛」という名前によっても傷つけられていると主張する可能性がある。

・エユプ区役所はロゴの排除だけで満足するようには思えない。はっきりと音楽祭でのアルコールの販売の禁止を課そうとしている。何を基準にというのか。

・保健相は新たな目的を「アルコールとの闘い」だと発表した。今後どこで、どのような言い訳が生みだされ、アルコールや生き方との闘いが加速するのか注目だ。

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( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:27023 )