Ahmet Hakanコラム:保守系女性の必携雑誌アーラー誌、インタビュー
2012年07月20日付 Hurriyet 紙

『アーラー』誌は保守的な女性にとって『Vouge』のような人気雑誌である。

私は長いこと、この雑誌の編集者であるフュルヤ・アスランさんと全く会うことができなかった。
そして、ようやく会う機会に恵まれた。
フュルヤ・アスランさんは雑誌にのせるべく、私に長いインタビューを行った。

フュルヤさんは「アーラー誌についてどのようにお考えですか?」と私に尋ねた
私はこう答えた。
「慎みと質素さを説き、贅沢品を控えるよう助言する。こういう考えが、ファッションという華かやな世界で成功を収めるのは非常に難しい。本当に難しいことだ。ファッションは越えられない障壁でいっぱいの世界でしょう。だからあなたのされていることは難しいこと、しかも非常に困難なことだと思うのです。これを貫くことも、この分野で成功を収めることもほとんど不可能でしょう。」と。
しかし、その後私はこうも言った。「もしあなた方自身をある階級、見解、信仰の中で話すものとして位置づけられるなら、また『私たちのような服を着る人を手助けしたい』という控えめな目標を持つなら、きっと罠や災難、批判をすり抜けることができるでしょう。」
フュルヤ・アスランさんは私が最後に行ったことに対し、「私たちの目標はまさにそれです。」と答えた。

面白いインタビューになったと思う。
もっと知りたい人は、どうぞアーラー誌の8月号を読んでいただきたい。

■AKPは何であれ「民族主義者側」になった
「右派・民族主義者・保守派」層の思考式を書いた文は次のようにあらわされるだろう。
私たちは国の純潔な子孫である。しかしよそから来た人たちのような扱いを受けている。
私たちはこの国で故郷を懐かしんで生きている。
自分の国で、変人、のけ者とされる。
ある集団は国民にとってよそ者となり、堕落し、エリート、西洋・フリーメーソンの国と手を結び、本当の国民の権利を強奪している。
この不当な構造が変わらなければならない。
本当の国民が権利を取り戻さなければいけない。これこそが民主主義だ。

「右派・保守派・民族主義者」側の人たちは皆こう言ってきた。
民主党は「もう十分だ、主権は国民のものだ」と言いながら、これを言った。
ネジプ・ファズル氏もこう言った。
オスマン・ユクセル・セルデンゲチティ氏もこう言ったし、民族主義的な政党や公正党もそう言った。
オザル前大統領さえも控えめながらもそう言った。
中道右派もそう言った。
イスラム保守派も何年もの間そう言っている。
問題は次のとおりである。
つまり、国の本当の国民が権利を取り戻し、苦難は終わる。民主主義とはこれ以外にない。

AKPは100%民族主義的で保守的で右派の政党である。
エルドアン首相は次のように考える。
世俗派、(世俗主義の)後見者を自負する者、軍派を取り除いた。
国の本当の国民が権利を取り戻した
国民の価値観が国を支配するようになった。
そして民主主義が築かれた。
これが、エルドアン首相の「民主主義」から分ることだ。

これらを踏まえてみると…。
もともと完全な右派であるユマン・クルトゥルムシュ氏がAKPに入ったことも、
イドリス・ナーイム・シャーヒン氏がAKPの内務大臣になったことも、
大統一党がこの構造の中に加わるだろうという情報も、
昔の国粋主義者がこの傘下に簡単に見の置き場を見つけられることも、
昔の中道右派がAKPに賛同するのも、
民主党のスレイマン・ソイル氏がAKPに移ろうと準備していることも、
容易に理解し、説明することができる。

つまるところ…
たどり着いた場所は「民主主義者側」だ。
もちろん今日の民族主義者側は40年前のそれとは異なっている。
しかし、
時とともにおきた自然な思考の変化を除けば、中核は同じである。
そしてその中核を今日AKPが代表しているといえるだろう。

■しかし期待されるものは何だったか

しかしAKPを限りなく信頼する自由主義者、民主主義者、変革者は全く別のことを考えた。
彼らはAKPに様々なことを期待していた。

何を期待していたのか?
彼らは世俗主義の後見的政権を倒した後、後見のない国ができるのを期待していた。
差異に忍耐強く、思慮深く対応することを期待していた。
スカーフを巻いているものにも、飲酒する者にも寛容な環境ができるのを期待していた。
民主主義が広範囲で実現されるのを期待していた。
クルド問題に「我々はあらゆる寛容を示した。今彼らに求めるのは忠誠心だ。」という考えから脱皮するのを期待していた。
司法を世俗的システムから取り戻し、しかしそれを自らのものにはしないことを期待していた。
デモや行進を行う権利を尊重することを期待していた。
灯油をまいたり警棒で攻撃することがないことを期待していた。
マイノリティとなった者の生活様式に対して、いかなる介入も許さないことを期待していた。
システムの中で、あらゆる民族的・文化的・宗教的・生活様式に根ざす差異の居場所がある環境がつくられるのを期待していた。
本、思想、言論の自由を期待していた。
シヴァス県、チョルム県、マラシュ県で起きた事件の解決を期待していた。
マジョリティの意見を優先する考えを放棄することを期待していた。
アレヴィー派の人々に、信仰に基づいた生活を認めるのを期待していた。
世代ごとに一つのイデオロギーにはめ込まれないような教育システムが機能することを期待していた。
あらゆることを、ほんとうにあらゆることを、最後まで自由に批評できる雰囲気が作られることを期待していた。

今あるのは大きな失望だ。
なぜなら最終的には、2012年モデル「脱民族主義者側」政府ができあがったからだ。
何を言ったら良いだろう?
神が私たちの行く末を祝福してくださいますように。

■民族主義者側になることの利点
自由主義者を満足させようという問題はもう無い。
平和で安心できるところでは前進する。
力強い世論は後押しされる。
知識と教養のあるものがどんな反論をしようと、票は常に増えていくだろう。
神のご加護にあずかる。
民主主義のみせかけといった問題はなくなる。
「国の価値」などいいながら、あらゆることができるようになる。
全ての差異を尊重するというようなデリカシーはもういらない。
70%は民族主義者側にいるからだ。

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( 翻訳者:畔上曜子 )
( 記事ID:27069 )